私の知人、藤本靖さん著『疲れない体』のなかの一節に目が止まりました。
「目は見ることには慣れているが、見られることには慣れていない」
これは本書の中で、人と目を合わせるのが苦手・・・
という内容に沿って書かれていました。
藤本氏も以前は目を合わせるのが苦手で、緊張し、
目線をどこに会わせていいのか困った・・・とあります。
さらに、
目が自意識と深く結びついているので、目線を向けられると相手の意識が
こちらに向かって自分の中に侵入してくる感じがして、
思わず避けたくなるのです・・・・・とあります。
これに対して、どのような工夫が考えられるかなどが
本書に示されていますので知りたい方はご購入を!
それはさておき、
「目は見ることには慣れているが、見られることには慣れていない」
について、確かにな〜っと思った次第です。
「見られている」は、―見透かされている― につながり、
お腹の辺りがもぞもぞとして自分のガッツを引っこ抜かれたようにも感じられ、
穴があったら入ってしまいたい!っとびくびくしてしまいますね。
特に目は、脳とダイレクトにつながっていて、自分の中枢神経系が
言わば、裸で飛び出していると行っても過言ではなく、
また、目は情報を取り入れるはずの末端の器官なので、
逆に言えば、そこから情報を吸い取られる(嫌な言い方だけど)可能性もあるかも。
ストローみたい? 確かに・・・・ははは (^^;)
かなり前、インド中部でパパジと呼ばれるマスターにあったことがある。
マスターのすぐ目の前で質問をされた時、
私はかなり・・・それもかなり!ビビったことがる。
マスターの目は赤ちゃんのように純粋で、
私の濁った考えなど及ばないほど深く澄んでいた。
私の思考はそのマスターに見透かされているようにビビっていたよ。
今思うと、おかしな感じだけど、私の思考は事実、震え上がっていた。
嘘が見透かされているような・・、
私の思考が考えるようなことなど木っ端みじんに砕かれそうで・・・、
私はその場で嘘をついた分けではないが、
マスターの質問に対して何をどのように答えたら良いのか
真っ白になってしまったことを覚えている。