10.24.2015

でしゃばる者

トルコで継続的に受けているコース Diamond Logos Teaching の3回目を終了して日本に戻ってきた、今回のコースは Green Latif のプロセス。Green Latif はCompassion(思いやり、慈悲)、Love(愛、好意、大事にする) そして、 Kindness(優しさ、情け深さ、親切) の質を持つ。

終わってすぐ何かが変わるとか期待するんですが、そして期待しながら自分を観察しているのですが、そのプロセスは続いている。コースを終えてイスタンブールで友人達と楽しい時間を過ごし、また飛行機に乗って(今回、27日間の間に6回飛行機に乗っている)大阪に戻り、家族と過ごしながら、今、ふと感じたのが "平穏" である。何かがとても平穏でおどおどしている自分がいない事に気づいている。

いつも、自分の問題を騒ぎ立てるのは "私のEGO" ですが、その影が薄い。ちょっとしたほつれ目を見つけるとその糸を引っ張りだし、「ほれ見てみぃ!」とでしゃばる者が居ず、他者の気持ちを受け入れる自分がいる事の方が心地よいと感じている。とても心地いい、不安がなく、手を伸ばせば届きそうな天国がある。

・・・・・あとは、この人生をのんびりと、意義ある毎日を過ごすだけ、かも。



10.18.2015

Diamond Logos, Green Latif

今日が3日目、明日が最終日って、いま気づいたところ。今日、やっと落ちて深く理解するに至った。

ここに至るまで、いつものパターン、Super EGOの抵抗に苦心した。「どうにもならんやろ」と言う声、ワークに対して、ティーチャーに対して、自分に対して。いつも、この抵抗から始まる。

きっかけはなんだったんだろう? 自分を諦めてはいけないと言う声が私を支えてたと思う。退屈しても、そして、いま分かったことだけど、この"退屈"こそがスーパーエゴのアタックやったってこと。

のんびりできる、と、退屈、がごっちゃ混ぜの世界。

エニアグラム7の私にとって退屈 (のんびり) はあってはならないことなのだ。「退屈やなぁ」と言うスーパーエゴのそのひと言に突き動かされ、クタクタになるまではしゃぎまくる7番の姿が想像できる?

コース中に見せてもらった昨夜の映画がとても良かった。あのおばあちゃん、ジャッジのかけらもない。みんなに見せてあげたい映画。

そして、今日、分かったこと、私のエゴに No Judge Pure Compassion  (あのおばあちゃん) や、どんとこい!

Green Latif はCompassion、そして、Love & Kindness というちょっと身構えてしまうクオリティなのだ。私にそんなもんが果たしてあるんだろうか? と、疑っても仕方がない……

Superego にも素直になって見ようと思う。Superego の声に真実も含まれているとティーチャーは言う。きっと、私のバウンダリーを取り除いてくれるだろう。固まった私のエゴを正しく導いてくれるだろう。エクササイズで私は、スーパーエゴはCompassion そのものだというところに至ったのだ。

Superego はジャッジメンタルなだけじゃないらしい。その中に真実もあるらしい。ただ、権力的なフィギュアで攻めてくるのでアタックされ感がある。

私の場合、Superego と母が重なっている。なので、Superego に耳を貸すと、そして、その言い成りになると言うことは、私の負けとなり、それだけは、絶対に避けなければならないと言う子供の私がいたのだ。つまり、私のエゴの振る舞い。

スーパーエゴに真実が含まれていようがいまいが、言うことを聞いてはいけないのだ!とエゴが立ち上がって「えいえいおー!」と踏ん張る。耳を貸さないことでリベンジしているのだ、誰に? きっと、母親に。

Green Latif で、私のディフェンスメカニズムについて いろんなことが分かった。

Green Latif は良い、ヒーリングが起こる。Green Latif はとても深く、最も隠されたエッセンスだとティーチャーが言っていた。私もそう感じることができた。

っで、Osho の言葉を借りると、とどのつまりsurender なのだ。
"あぁ〜 ぁ" っとぉきたもんだ… (  ̄ー ̄ )ゞ



私自身が教えている クラニオセイクラル・バイオダイナミクス の 施術者養成コース(10モジュール)も期間的に長く1年半〜2年に渡りますが、 私がオーガナイズする ダイアモンド・ロゴス・ティーチングス も 次回の Group2『7...