1.22.2020




















私自身が教えているクラニオセイクラル・バイオダイナミクス
施術者養成コース(10モジュール)も期間的に長く1年半〜2年に渡りますが、

私がオーガナイズするダイアモンド・ロゴス・ティーチングス
次回の Group2『7つのリトリート』も1年半ほどの長期プロセス。

これほどしっかりコミットして自分自身にワークするクラスやコースはさほど多くはないかもしれません。それゆえ、私が提供するワークは特殊な性質になっていると思う。

-- どんな性質?

私自身が関わりたいのは、しっかりプロセスして身につけること、深部まで理解が及ぶこと、理解と体感が一致して内的インテリジェンスが正しく機能すること、の助けなることをしたいのです。

-- なぜ?

深部に届かないワークは数をたくさん受けても同じところをウロウロするだけし、深いところの欲求が満たされず、また何か、心の穴を埋める代替えものを放り込むか、色々たくさん受け続けても、なお、ぽっかり穴が開いたまま探し求めているという結果に繋がって行く。ならば、本格的に取り組んでみるか、っと。

長期のクラニオコースは技術を取得できるから収入にもつながるけど、ダイアモンド・ロゴスはと言うと全くもって自分自身との遭遇ワーク。私のクラニオのクラスでも自分と向き合う、自分との出会いを大切にしていますが、ダイアモンド・ロゴスはそれのみ。

-- 自分との遭遇?

この自分との遭遇、しかも、7つのモジュールを通して、1年半かけて、このプロセスが凄い。スーフィズム体系を用いた個人の本質的資質や能力と、それに覆い被さる思い込みや誤った考え、それらのついて "インクワイアリー" という手法を通して自分自身の内的世界を調査し、驚くべき真実に出くわす、といった感じで進んで行く。

ひとつ前のブログでも書きましたが、エゴ構造への理解それ自体が、それらから距離をおく方法であり、内的ドラマに巻き込まれず客観的にいることができる、そうすると、他者からも、また自分自身からも、巻き込まれない分、内側にスペースが出来て、真実が明らかになる。これこそが、私たちが探し求めて止まないもの、自分との遭遇なんですよ。

そこに至る道は、やっぱり、しっかりプロセスされる期間と、安心でき、信頼できる仲間が必要なんですね。一緒に旅する仲間の存在はとても大きいです。一人では無理。なので、個人ワークなんだけど、グループ・ワークなんです。

-- 個人ワークだけど、グループ・ワーク?

例えば、ひとつのお部屋の中に、またはコースの中に、自分自身についてワークしている人が多くいる。インクワアリーを通して話を聞いてもらう、または、話を聞く。この行為の中に秘訣があります。人の話は、自分の話の一部、またはどこかの面を表現していて、深層心理で繋がっている、それで欠けているパズルが完結に向かうんですね。だから、グループ・ワークなんですよ。

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『DLTと、エニアグラムのスピリチュアル・ダイメンション』
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日時:2020年2月20日〜23日(4日間)
場所:ISNESS東京都品川区
受講料:12万円(『7つのリトリート』を継続して受ける方割引で9万8千円)
お問い合わせ:info★diamondlogos.jp(★を@に)
https://diamondlogos.jp/enneagram/

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『7つのリトリート』
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1年半かけて7つの連続したコースを受けます。
スタート:2020年6月から(4日間コースx7回)
場所:ISNESS東京都品川区
受講料:12万円 x 7回
お問い合わせ:info★diamondlogos.jp(★を@に)
https://diamondlogos.jp/7retreats/

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Breath of Life & Stillness
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クラニオセイクラル・バイオダイナミクス初心者コース
日時:3月19日〜22日(4日間)
場所:ISNESS東京都品川区
受講料:98,000円
お問い合わせ:cranio★healingart.jp(★を@に)
https://healingart.jp






1.21.2020

自分の制限、どう解除する?



自分の制限、どう解除する?
who is in 公案や、DLTのインクワアリーで自分について話す、インクワアリーの中で話すことで事実的な問題が解決するのではない、また、起こった事は消し去ることができないのに、心配症から気持ちの転換が起こり、良い方に向くのは、内面の心理劇に変化が現れるからだね。簡単に言うと、内的舞台、内的ドラマの、役者の役回りやその重要性がピュアーになって変わるからだね。
(*ここでのインクワアリーとは自問自答のこと)
例えば、内在する自我と、超自我、そして、イド。
この3者は内面の心理劇の舞台に必ず上がってくる、主要人物。
それぞれがどんな役割を持って、どんな態度で、どんな言葉を発するか、また、内的舞台の大掛かりな装置のどこに立っているか、どんな主張をしているか?
● 自我は、私と、私の尊厳を守ろうとする者。
● 超自我は、その私を高めようとし、また、脱落しないように監視する者。
● イドは、本能的欲求を訴え、それを得ようとする者。
公案、またはインクワイアリーで、私が自分について話す時、この3者に注意を向けていると、私の内的舞台に何が演じられているのかが良くわかる。そして、この3者の誰が一番強く、誰が弱々しいのかも良くわかる。
これは人生に起こるどの場面にも、また、日常どうって事ないことにも、大きく影響が及んでいることをあなたは知っているだろうか?
日常の自分の振る舞いは、内的ドラマによる擦り合わせ、事前検証が先にあり、それは内面で瞬時に起こるので、私たちが気づくこともない。表層に上がってきた考えや思い、感情をまるで自分自身だと思い込んでしまう。
しかし、事実はそうではない。
「それが自分という人間を証明するものか?」
と考えれば分かる事であり、
それによって自分は証明されないと知っている。
「じゃ、自分はなんなんだ?」
それが公案やインクワイアリーの向かうところである。
自我、超自我、イドのエゴ構造とその制限に気づき始めると、そして、内的なそれらの主張から非同一化して観察することができたら、自分の持っている欲求不満とストレス、自信のなさが演じられる舞台に飽き飽きするよね。
飽き飽きして、馬鹿げていることに気づくほど客観的でいることが最初の悟り。
よく考えてみる、周りの(社会の)状況やドラマ、他者の振る舞い、他人のドラマ、偏った考えに巻き込まれてたと気づく。
さらに、それが自分の内的な心理ドラマとなって自分の内側で夜昼かまわず上演されていることに気づく。
これこそが、私たちを巻き込む罠、自分の制限している罠だと気づく。
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『DLTと、エニアグラムのスピリチュアル・ダイメンション』
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日時:2020年2月20日〜23日
場所:ISNESS東京都品川区
受講料:12万円(『7つのリトリート』を継続して受ける方割引で9万8千円)
お問い合わせ:info★diamondlogos.jp(★を@に)
https://diamondlogos.jp/enneagram/
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『7つのリトリート』
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1年半かけて7つの連続したコースを受けます。
スタート:2020年6月から
場所:ISNESS東京都品川区
受講料:12万円 x 7回
お問い合わせ:info★diamondlogos.jp(★を@に)
https://diamondlogos.jp/7retreats/

2.17.2019

怒り



ここ数ヶ月、私は自分が "怒っている” と知っている。

ある事がそのことに気づかせてくれたのか、
もしくは、もうひとつ面に押し上げたのかは定かではないが、

… であれば、自分が "怒っている” のは
ここ数ヶ月の話ではないはずだ。

ずーっと前から怒っている。
多分、幼い頃から…

ダイアモンドロゴスと言う手法のおかげで
私はそう言ったことに特に興味を持つようになって来た。

心理的な自分の様相に、と言う意味。

そして、以前なら、

意識的にも、無意識的にも、
"自分の怒り” を自分に対しても誤魔化していたし、
不透明なオブラートに包まれて訳がわからない状態にあった。

でも、最近は自分を誤魔化せない
ますます、感情が鮮明に知覚認識できるほど面に現れる。

で、良いことにも気づいている。

"怒っている” ことに気がついているので
あまり同化されていない。

ただし、リアクション(外部に対する反応)は
まだまだ...瞬間的にやってしまう。

怒り - と言うエネルギーは活力を生むことも知っている。
いろんなことへの原動力になって私を支えている。
私の場合、創造力にも一役買っている。

“怒り” の負の部分は、他に対する恨みであろうか?

そんなことをずっと頭の端に置いてここ数ヶ月、
腑に落ちるまで、暖かく “私” を見守っている。

昨夜、DLT メンバーのシェアー・ミーティングがあった。
私はそのことにほんの少しだけシェアーの時間をいただいた。
その時は、今日の今より闇雲で、今朝は少し、何かが晴れている。

ミーティングの後、ずっと、何かがおかしいと、パズルを探しているのだ。

誰も ”怒り” など持ちたくないし、醜い自分にもなりたくない。
だけど、実際には “怒り” と呼べる感情を持っている。
なくなればいい、なくなればいい、そう言った呪文は効かない。

じゃ、なぜ、”怒り" はあるのか?

あってはいけない、と言う考えの方が間違ってないか?
そう思うと眉毛が下がる。

あってはいけない、という考えのもとに自分を誤魔化そうとする。
別に他にぶつけるつもりはないが "自分が怒っている” は認めてあげたい。
そして、“怒り” のことをちゃんと知っておきたい。

そもそも、“怒り” は何なのか?

ここまで書いて、やっと、究極のインクワイリーにたどり着く。

「“怒り” とは何なのか?」

幼い頃からある感情
居心地が悪い
おへそとその周辺に何かを感じる
が、悪いものだと断言できない
怒りが頭にくると居心地が悪いが、
怒りがお腹にくると質が変わる…

ちょといい事に気がついた
怒りがやって来たら、お腹に落としてみる
頭にはお休みしていてもらう。

それでしばらく様子を見よう (^^)
多分、頭で考えるには限界がある !

腑に落ちるまで、暖かく “私” を見守っている。

3.03.2018

世界幸福度ランキング



今日は3月3日、ひな祭り。
読売新聞を読んでいるとこんな記事が…
世界幸福度ランキングでノルウェーが世界一らしい。

2001年、ハラルド国王が言った幸福の条件とは

1. 健康であること。
2. 友達がいること。
3. 社会のためになることをしていること。

「人々は異なる理由で、異なる状況で幸せになる。
私は、楽しむことを学ぶことが必要だと思う。
それには心の持ち方が重要だ。
歩くこと、新鮮な空気を感じることなど、
すべてをバランスよく得ることが求められる。
裕福でもすべてのバランスがかけたら、
幸せになるのは難しい」etc… 

いかにも裕福な人のコメントですが…と言うのも、
世界にはとてつもない状況下に置かれている人たちがたくさんいて、
上記の3つにまで届かないかもしれない。

ただ、安らかに眠れるベッドが必要
ただ、食べ物が必要
ただ、誰かに優しくされたと願う
ただ、暴力から逃れたいと望んでいる
ただ、自分の能力を発揮できる場所が欲しい

誰もがあるがままに自分らしく過ごすこと、
そして、自分が認められ、受け入れられること、
人に喜んでもらい自分の存在に価値があると感じられること、

そして、真剣に取り組みたい何かに出会った時、
人は活力をそれに投資する勇気が湧くね。

それによって、失敗と成功から多くを学び、

自信と持続力、達成感や能力向上によって満たされる、
静かに自分を見直す時間とご苦労様と褒めてあげる。

もし、私たちが社会に翻弄され、人々に振り回され、
自分を保っていることが難しくなり、それに疲労してしまうと、

多くのことが見逃されて卑屈な精神に陥ってしまう。

自分の良さや、命の尊さに疑問を持ち始め、
生きることが冒険ではなくなり、苦痛となってしまう。

ここから自分を救済するのは簡単ではないね。

でもね、だからと言って自分を見捨てたりせず、
救済する方法を見出さねばならない。

もし、このワークが助けになるなら、試して欲しいと思う。


目から鱗、ちょっと自分に頑張ってもらわないといけないけど、
死んだように生きるのは嫌だから私は深く自分を理解したい。

人生自体が魂のプロセス

自分に向き合う、自分を正しく理解する、
本当に望んでいることに自分を向ける
少しづつでもそのように生きることを試してみる。

切ない感じだけど、人生は自分の物語。

悲惨な物語にするか、他人のように振舞って操り人形になるか、
もしくは、自分の道を歩くか…



2.07.2018

大きな勘違い、自由への道



なぜ、人はそのような間違った夢を見るのだろう?
なぜ、私はそのような間違った夢を見ているのか?

判断、基準、良い悪い、好ましい好ましくない、
から生まれる夢とわかっていても、
そこから自由になるすべがわからない。

何が良くて何が悪いのかと言う雛形があって、
それを元に私の全てが機能している。

とても根深そうだ…う〜ん、と、ふと、
昨夜、この雛形自体が大きな勘違いの元であると気づいた。

私の全てがこの雛形によって無意識にコントロールされ、
私から自由を奪っている。

このことをここに書いておかなければならないと思った。
急いでMacbookを開き、Evernoteに書き綴る...

私の根元は恐怖に縛られていて、
それから自由になることができない。

問題が周りにまとわりつき、
あるレベルでの乖離が起こっている、それは、
ショック・トラウマ的な乖離であると以前から知っていた。

私が雛形に固められて一体化しており…

その雛形そのものが大きな勘違いと気づいたのは、
ある本を読んでいた時に起こりました。

スーフィーは神と恋に落ちた人々だと、ある賢者(Osho)が言いました。

神の中に消え去る準備ができた人だと、そして、
神をわがハートに招き入れる準備ができた人だと...

私もそのような純粋な気持ちのままでいたいと思う。
本当は神と同じぐらい自由なのに何を恐れているんだろう?

その瞬間…

囲いの中で、自分の不幸を哀れんではいないか?
決して手に入れることのできない何かを夢見てはいないか?

と言う勘違い(雛形)に陥っていることに気がつきました。
この想いこそ、大きな勘違いだった…

実際には、この雛形は何重もの鍵がかかっていて
この驚く発見はまるで奇跡のように起こった感じです。

目からウロコが落ちたように....

たとえ、そんな考えが頭によぎったとしても
これほどリアルに真実の扉が開くことはありません。

ましてや、そのこと自体、切ない希望か、はたまた、ぼんやりと見る夢のように、
再び深い溝に消え去ってしまいます。

勘違いとの一体化、昨夜、こびりついた殻がポロリと剥がれた瞬間でした。
今は、とりあえず、剥がれたことを覚えてくことにします。




私の気づきのプロセスをサポートしているワーク:
『ダイアモンド・ロゴス・ティーチングス』

オフィシャル・サイトhttps://diamondlogos-japan.localinfo.jp

ワークショップ:
2018年7月5日〜8日『DLTの紹介、ソウル・チャイルド&イエローエッセンス』







2.04.2018

聖杯





















聖杯とは体のことで、そこに満たされるのは命という聖液である。

昨夜、ベッドの上で、なかなか、寝れずにいると、あれ?
ふと気がついた、何故か、めっちゃ元気、体も心も元気で満たされている!

どうするべ? 外に出て走りにでも行くか?
まぁ〜さか、夜中に、そんなことするわけね〜べ。

で、分かったのだ!
体の中に生命が生き生きとしている。

体は聖杯で、ブレスオブライフは聖液のことであると。
呼び名はなんと呼んでもいい。

そうか、クラニオバイオって凄いことやってんだ!

この聖液は、光り輝く媒体のようなもので、
永遠なるものを保持することができる。

決して歳をとらず、決して衰退することがない。
そうか、そうなんだ!

と、ひとり、真夜中に興奮しちまったじゃないか... (^0^)





1.23.2018

「うん」と「う〜ん」



















white wolf のブログに記事を書くのは久しぶり。

今年はダイアモンド・ロゴスを日本で紹介する年なので、
その体験を書いた記事を読み直していたところ、

その時々の素直な気持ちとちょっとした洞察、
あぁ、やっぱりいいねと自分の直感を信頼し直した。

日常の色んな体験をプロセスし続ける私の意識と無意識、
ちょっと待って、まだ、ほんとにいいのか分かってないから!

なんて意識 / 無意識でおどおどしているが、日常は待ってはくれない。
物事をまだ消化できていないのに人生は進んで行く。

その時々に Yes No の答えを出さなければいけないときもある。

そうするとき、信頼できるのが以前に友人Toshanが
ヒューマンデザインで教えてくれたこと。

どっちかな? って決めるとき、
「うん」と「う〜ん」との違いについて。

「う〜ん」の時はそれを進行させる必要はない。

確かに、「う〜ん」でもやっちゃうことがある
が、その結果も「う〜ん」で終わっていることに気がついた。

「うん」の時、自分の決定というより、
何かの流れに乗っている感じで結果よりもプロセスに満足する。

「う〜ん」の時は結果が良くても無謀だったなとひやりとする。
で、「う〜ん」の時は静かにして手を出さないようになった。

これって結構、瞑想の助けになっているし、
自分に振り回されずに済んでいる。

ありがとう Toshan (^^)






私自身が教えている クラニオセイクラル・バイオダイナミクス の 施術者養成コース(10モジュール)も期間的に長く1年半〜2年に渡りますが、 私がオーガナイズする ダイアモンド・ロゴス・ティーチングス も 次回の Group2『7...