セラピーを2つの分野に分けると、ひとつは緊急事態と、
そして、頻度の高い症状に見舞われている重症的な場合のもの。
もうひとつは、潜在的な症状が見受けられる場合のもの。
頻度が高く重症的な場合、その特殊治療を行なう病院や
経験が高い相談者によって治療が促される必要がある。
潜在的な症状は、まだ、表立って見えず、しかし、
本人には姿のはっきりしない不気味な存在として知覚されている。
症状は、心理的境遇から大きな影響を受けている。
その人のおかれた立場、家族を含む人間関係・社会との関わり・
経済的状況などがそれである。
私たちが心理的な症状と呼ぶ時、そのほとんどが、一般的なよく知られるもので、
頭痛、肩こり、腰痛、胃の痛み、赤面、冷や汗、ジンマシン、
嘔吐、恐怖症、自慰行為、動悸、躁鬱、震え、過食症、強迫観念、暴力、
下痢や便秘、ふらつき、めまい、失禁、その他・・あれこれ。
しかし、そこに至るまで、そして、
それが症状の始まりだと誰も気づかない症状がある。
ここでは、その中でもとても微妙なる軽い症状について考えてみたい。
例えば、私は昨日、友人達と楽しく話しをしていた時に、
ふと、理解したことがある。
ある話しをしていて、ひとりの友人に、
「このことについてどう思う?」と尋ねた。
彼女はそれに対して「フォギー(foggy /霧にかかったようよ)」
と言う言葉を使った。
この時、私たちはひとりの友人が今まさに学んでいる最中の
クリーンランゲージを話題にしていた。
“foggy” はまさに、メタファー(比喩)なのだ。
例えば、ある話題について話していた時、
それをどう思うかと聞かれた彼女は、その問いに対して、
この場合、問い自体の意味が彼女を揺さぶったかどうか、
または、“問われた” ことに対する緊張に揺すぶらされたのか?
この質問を受け取った瞬間、もしくは、このような会話をしていた最中に
霧がかかったような感覚をどこかで知覚していたことになる。
もうひとつ、考えられる点は、彼女が質問に対して、
「その質問の意味がfoggy だわ」、つまり、
質問の意図が知りたいわ・・・かもしれない。
どちらにしても、私が注目したいのは、
foggy は症状ではないか、と言うことである。
foggyと表現することで、自分の状態を表現している。
何かが明確ではない、それは、そのものについてか、自分自身についてか、
他者との関わり方についてか (- ここではどう返答すれば良いのか
見極める必要があるという緊張が生じる - )。
クリーンランゲージではそこから
その個人の理解を明確にしていくのだろうと思うが、
それはさておき、私がここで議題に上げているのは症状とは何か?
であるので、先に進むと、
つまり、はっきりと示してみると、
明確になっていないもやもやしたもの、
思考に取って代わる前の、形の見えない何か、
とは、軽い症状と呼べないだろうか?
それは、言葉にされにくいもの、言葉にすると恐ろしいと感じるもの、
もし、そうであれば、自分と、自分の感じているもの、との間に、
何かが立ちはだかっていると考えられる。
私たちは、普段、頻繁にメタファーを使いまくっているが、
全部とは言わないが、その幾つかは
言葉にできない何かの代償として使っている可能性が高い。
代償の意味の中に - 要求などが満たされない時、
変わりのもので要求を満たそうとすること - がある。
メタファーを使うことで、自分のもやもや感を満たそうとする。
自分の中のとても微妙な状況を -うまくすり替える - という場合もあるだろう。
このような場合、それは本人も気づいていないのだろうと思う。
ここで、私自身が安心を得るために言っておく必要のあることは、
もう、先ほどの foggy と言うメタファーを使った友人について話していない、
とういことを書いておくことにする。
ただ、あの昨夜の会話で私にこういった気づきが起こり、
それからずっとそのことが頭に残っていて自分の中で整理したいのだ。
その他に、一般的にはそれを症状とは呼ばないが、
例えば、批判、軽蔑、差別などを他者や自分に向けるが、
これも症状であり、その行為の下にあるものは自信のなさや、不安から来る。
なので、批判、軽蔑、差別などは症状の一番上の “かさぶた” である。
心理的には、これらが重度になってくると精神異常をきす。
ヒステリック、情動流動、暴力、などに変わる。
そして、もちろん、私たちは他者についてよく話すが、
よくよく自分の言っていることに耳を傾けてみると、
その人物を滑稽なフィギヤーに見立て、自分を正当化しているに過ぎない。
これを症状と呼ばず、何と呼ぶのだろうか?
そして、頻度の高い症状に見舞われている重症的な場合のもの。
もうひとつは、潜在的な症状が見受けられる場合のもの。
頻度が高く重症的な場合、その特殊治療を行なう病院や
経験が高い相談者によって治療が促される必要がある。
潜在的な症状は、まだ、表立って見えず、しかし、
本人には姿のはっきりしない不気味な存在として知覚されている。
症状は、心理的境遇から大きな影響を受けている。
その人のおかれた立場、家族を含む人間関係・社会との関わり・
経済的状況などがそれである。
私たちが心理的な症状と呼ぶ時、そのほとんどが、一般的なよく知られるもので、
頭痛、肩こり、腰痛、胃の痛み、赤面、冷や汗、ジンマシン、
嘔吐、恐怖症、自慰行為、動悸、躁鬱、震え、過食症、強迫観念、暴力、
下痢や便秘、ふらつき、めまい、失禁、その他・・あれこれ。
しかし、そこに至るまで、そして、
それが症状の始まりだと誰も気づかない症状がある。
ここでは、その中でもとても微妙なる軽い症状について考えてみたい。
例えば、私は昨日、友人達と楽しく話しをしていた時に、
ふと、理解したことがある。
ある話しをしていて、ひとりの友人に、
「このことについてどう思う?」と尋ねた。
彼女はそれに対して「フォギー(foggy /霧にかかったようよ)」
と言う言葉を使った。
この時、私たちはひとりの友人が今まさに学んでいる最中の
クリーンランゲージを話題にしていた。
“foggy” はまさに、メタファー(比喩)なのだ。
例えば、ある話題について話していた時、
それをどう思うかと聞かれた彼女は、その問いに対して、
この場合、問い自体の意味が彼女を揺さぶったかどうか、
または、“問われた” ことに対する緊張に揺すぶらされたのか?
この質問を受け取った瞬間、もしくは、このような会話をしていた最中に
霧がかかったような感覚をどこかで知覚していたことになる。
もうひとつ、考えられる点は、彼女が質問に対して、
「その質問の意味がfoggy だわ」、つまり、
質問の意図が知りたいわ・・・かもしれない。
どちらにしても、私が注目したいのは、
foggy は症状ではないか、と言うことである。
foggyと表現することで、自分の状態を表現している。
何かが明確ではない、それは、そのものについてか、自分自身についてか、
他者との関わり方についてか (- ここではどう返答すれば良いのか
見極める必要があるという緊張が生じる - )。
クリーンランゲージではそこから
その個人の理解を明確にしていくのだろうと思うが、
それはさておき、私がここで議題に上げているのは症状とは何か?
であるので、先に進むと、
つまり、はっきりと示してみると、
明確になっていないもやもやしたもの、
思考に取って代わる前の、形の見えない何か、
とは、軽い症状と呼べないだろうか?
それは、言葉にされにくいもの、言葉にすると恐ろしいと感じるもの、
もし、そうであれば、自分と、自分の感じているもの、との間に、
何かが立ちはだかっていると考えられる。
私たちは、普段、頻繁にメタファーを使いまくっているが、
全部とは言わないが、その幾つかは
言葉にできない何かの代償として使っている可能性が高い。
代償の意味の中に - 要求などが満たされない時、
変わりのもので要求を満たそうとすること - がある。
メタファーを使うことで、自分のもやもや感を満たそうとする。
自分の中のとても微妙な状況を -うまくすり替える - という場合もあるだろう。
このような場合、それは本人も気づいていないのだろうと思う。
ここで、私自身が安心を得るために言っておく必要のあることは、
もう、先ほどの foggy と言うメタファーを使った友人について話していない、
とういことを書いておくことにする。
ただ、あの昨夜の会話で私にこういった気づきが起こり、
それからずっとそのことが頭に残っていて自分の中で整理したいのだ。
その他に、一般的にはそれを症状とは呼ばないが、
例えば、批判、軽蔑、差別などを他者や自分に向けるが、
これも症状であり、その行為の下にあるものは自信のなさや、不安から来る。
なので、批判、軽蔑、差別などは症状の一番上の “かさぶた” である。
心理的には、これらが重度になってくると精神異常をきす。
ヒステリック、情動流動、暴力、などに変わる。
そして、もちろん、私たちは他者についてよく話すが、
よくよく自分の言っていることに耳を傾けてみると、
その人物を滑稽なフィギヤーに見立て、自分を正当化しているに過ぎない。
これを症状と呼ばず、何と呼ぶのだろうか?
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