今日が3日目、明日が最終日って、いま気づいたところ。今日、やっと落ちて深く理解するに至った。
ここに至るまで、いつものパターン、Super EGOの抵抗に苦心した。「どうにもならんやろ」と言う声、ワークに対して、ティーチャーに対して、自分に対して。いつも、この抵抗から始まる。
きっかけはなんだったんだろう? 自分を諦めてはいけないと言う声が私を支えてたと思う。退屈しても、そして、いま分かったことだけど、この"退屈"こそがスーパーエゴのアタックやったってこと。
のんびりできる、と、退屈、がごっちゃ混ぜの世界。
エニアグラム7の私にとって退屈 (のんびり) はあってはならないことなのだ。「退屈やなぁ」と言うスーパーエゴのそのひと言に突き動かされ、クタクタになるまではしゃぎまくる7番の姿が想像できる?
コース中に見せてもらった昨夜の映画がとても良かった。あのおばあちゃん、ジャッジのかけらもない。みんなに見せてあげたい映画。
そして、今日、分かったこと、私のエゴに No Judge Pure Compassion (あのおばあちゃん) や、どんとこい!
Green Latif はCompassion、そして、Love & Kindness というちょっと身構えてしまうクオリティなのだ。私にそんなもんが果たしてあるんだろうか? と、疑っても仕方がない……
Superego にも素直になって見ようと思う。Superego の声に真実も含まれているとティーチャーは言う。きっと、私のバウンダリーを取り除いてくれるだろう。固まった私のエゴを正しく導いてくれるだろう。エクササイズで私は、スーパーエゴはCompassion そのものだというところに至ったのだ。
Superego はジャッジメンタルなだけじゃないらしい。その中に真実もあるらしい。ただ、権力的なフィギュアで攻めてくるのでアタックされ感がある。
私の場合、Superego と母が重なっている。なので、Superego に耳を貸すと、そして、その言い成りになると言うことは、私の負けとなり、それだけは、絶対に避けなければならないと言う子供の私がいたのだ。つまり、私のエゴの振る舞い。
スーパーエゴに真実が含まれていようがいまいが、言うことを聞いてはいけないのだ!とエゴが立ち上がって「えいえいおー!」と踏ん張る。耳を貸さないことでリベンジしているのだ、誰に? きっと、母親に。
Green Latif で、私のディフェンスメカニズムについて いろんなことが分かった。
Green Latif は良い、ヒーリングが起こる。Green Latif はとても深く、最も隠されたエッセンスだとティーチャーが言っていた。私もそう感じることができた。
っで、Osho の言葉を借りると、とどのつまりsurender なのだ。
"あぁ〜 ぁ" っとぉきたもんだ… (  ̄ー ̄ )ゞ
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