中国で point of light を受けたもう一人の日本人Hanya と今日、昼ご飯を一緒に食べた。あの後、私は自分に起こっていることに少々困惑し初めていたので、会うなり、「インクワイアリーをしようよ」と尋ねてみた。満席のレストランの外で待っている間、言い出しっぺの私から始まる。
私は自分に起こっている2つのことに気づいている。ひとつは、なんだか、ぼんやりして、自分が自分でない感じ、ある意味、何が何だかわからない。
こう言った精神世界のワークの後、躁鬱的なギャップが起こることは知っている。で、少なかれ、あの興奮の後だからまぁそれもありか、っという程度に観察していたんだ。
もうひとつは、やたらに落ち着き払っている。その落ち着き方ってのがこんな調子。ちょっと面倒だなって思う小さな仕事など、いつもだと、そそくさと手際よくやってしまうのが私だが、ここんところ、こう言った事が起こる。
ちょっとした小さな仕事をする時、いきなり、覚醒する。瞬間的に「おっ…」と思うのだけど、それが起こると、その時間を楽しむ事にした。なにも急ぐ事はないのだ。人生はこの瞬間が一番美味しい。
こんな事を Hanyaに話していると、とんでもない事に気がついた。困惑部分、ぼんやりして自分が自分でない感じがする、と彼女に涙目で訴えていたとき、「はっ!」 と、ある事に気がついたんだ。
私のエゴが形を取れない。言い換えると、エゴが私を形取っている。私が "私" という時、それは私のエゴが自分を指してそう呼ぶ。そのエゴが形を取れなくなってきているようだ、と気づいた。これが私の困惑の原因だと知って唖然とした。
エゴが形をとれない… ってぇ?
だから "自分" がぼんやりとしている、と言う風に感じていたんだと分かった。イメージ的に言うと、私という人物の輪郭がぼやけているという感じ。
こんな事に気づいて、私は、また、ダイアモンド・ロゴスのとんでもない凄さに嗚咽してしまった。知らぬ間にこんな風にワークされていたなんて、凄すぎる! Faisal ( DLT の創始者 ) の顔が浮かんだ。
実際、なんやかんや言っても、私は諦めていたんだとまたまた思い知らされた。自分には絶対起こるはずがないと。何が起こるのか、起こらないのか、その実態もわからないままに。
エゴがこんな風に輪郭を無くすなんて、そして、いずれ、消えるかもしれないと知った。私は、エゴが無くなるなんてありえへんやろう、と信じきっていた、と思う。だって、それは " 私" なんだから。私が、無くなるなんて、ありえへんやろ。
中国の Point of light の2日目、欠けていたパズルに何かがスポッとはまった体験に至極興奮していた。見当たらなかったピースがあの瞬間、収まった。扉に鍵が差し込まれカッチャと音がしたのだ。
別にどうこうするわけでないが、開いた扉は今も開いたままにしてある。何か、特別な事が起こるわけでもなく、また、扉の中に入って行くわけでもない。ただ、開かれたままであると知っている。
そして、私は今日、もうひとつの事に気づいた。それは…
もうすでに、崖から突き落とされていた。それに気づいたとき、マスターの影がちらっと見えた。 恐れもないけど、抵抗する術もない。ただ、また、涙が浮かんだ。
私はこのふたつのことをそのままにしておく事にした。ひとつは、扉は開いたままである。そして、もうひとつは、すでに崖から突き落とされていた。私はどこかに落ちていくのである。
エゴが形を取れなくなっていくのなら、きっと、留まろうとする者もいなくなっていくんだろう。それを見ていることにした。
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