Faisal が Family Hole と エニアグラムの fixization について話してくれた。生まれてきた子供は、何とかして家族の穴を埋めようとする。家族に欠けているものを埋めようとするんだそうな。
ある家族には愛、ある家族にはグランディング、ある家族には力、ある家族には知識、ある家族には成功を、こどもは欠けているそれ自体になろうとし、それを家族に与えようとする、が、不健全な家族に受け入れられもせず、何度も何度も失敗してしまう。
私はなぜ、7番なんだろう? 私の父と母、特に激情的な母の見ているメロドラマの中で育ったようなもので、私は母の感情が怖かったし、ゆえに、感情とは恐ろしいものだと受けとった。
そんな激情ドラマを子供の私が理解できるはずもなく、混乱し、かなりディソシエートした子供であった。どちらかと言うと夢みがちな。夢の中へ逃避し現実に触れないようにしていた記憶がある。
当然、子供の私は現実の中で夢のような冒険をすることはできない。今でこそ、人が羨むほど自由に動き回っているが、それは、現実からの逃避を実践できる年齢になってからのこと。今の私の自由は、夢の続きから発生したようなものである。
もひとつ、私は心理的にかなり混乱していた。もし、マスターに出会っていなければ、きっと、気違い染みた人間になっていただろうと想像できる。私はOSHOに救われたのだ。
私は彼の知識と知恵をどんどん吸収していった。OSHO は、私の混乱を溶いてくれた。これが、"知ること" である。自分に起こっていたことだけではなく、それ以上のことを知ることができた。エンライトメントと言うとてつもない可能性について。
それは、特別な人にだけ起こるのではなく、そして、高い高い山の天辺にあるのでもなく、自分自身に戻ることであると教えてくれた。我が家に帰るのだ。ここに I am No One. があった。
エンライトメントそれ自体が治療であると私は理解している。それは宗教でもなく、ましてや政治でもない。エンライトメントは深く深く安心して我が家に留まっていることである。
私には "知ること" が必要だったし、知識は感情に比べて安心できる tool だった。知識と理解が知恵を産み、私を救ってくれたのだ。
私が思うに、7番は感性的にも敏感である。内なる感情はとても豊かだ。7番に沢山のアイディアが浮かぶのはそのせいである。成熟した7番は自分が見つけた宝を美しく育て上げる力を持っていると私は思う。
私の自由は、夢の続きから発生したが "知ること" で夢から覚め、現実の中でそれを実践することが出来るようになった。そして、知ることでとてつもない喜びを感じている。私にとっての "知る" は体験の一部であり、理解が起こった瞬間、この体験のピークに達する。脳内ホルモンがドビュっと出る瞬間だ! (⌒▽⌒)
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