ダイアモンドロゴスを知って以来、エゴとスーパーエゴの理解が生まれ、ここに来てやっと、この2者の一般的理解ではなく、私にとっての実物大で理解できた…
居心地の悪い感覚の状況にある時、何故だか、言葉で描写する事が私にとって、とても大事なんだ。なぜ、言葉なのか? は、いずれ解明するだろうと期待して…
分かっていることは、居心地が悪いと言う事実を受け入れた後に起こる得体の知れない恐怖にまみれた感情とバトるよりも、圧倒的にうち寄せる思考とバトる方が私にとって安全な策なんだな。
状況的に、感覚的に、言葉を通して腑に落ちたら、精神にピースが知覚される。超完璧なセンテンスでも浮かぼうものなら、さらに寛大な気持ちに達する事ができると言う順番らしい。
無限に散らばっ言葉をパズルのように取っ替え引っ換え、猛スピードで最良のセンテンスを生み出すために立体的な組み替えが起こる。シナプスがブチ切れそうになる時もある。脳が熱を持つ、そして、第三の目の辺りにモヤモヤと集中される。
今日、見えた事。「嫌だー!」というエゴと、それをとてもクリティカルに正そうとするスーパーエゴが、このバトルの戦士なのだが、私の場合、この2者は相手を痛めつけようと戦っているのではなく、完璧なセンテンスを生むため、互いに協力し合っていた。
そう、この2者は、バトりながら真実を発掘していたのだ。真実に近づこうと脳を超活発化させる。
私にとっての完璧なセンテンスとは、可能な限り短かく、真実のみで形成されていなければならない。
ゆえに、この2者はどちらもマニピュレートできず、ほんの少しのマニピュレートでも入っていようものなら、センテンスはその完璧さを失ってしまう。そんな事にも、めっちゃクリティカルな私がいる。
逆に、マニピュレーションされたセンテンスが口から出ようものなら、数日落ち込んで、さらなるお一人様思考バトルに突き落とされ、出てくるのに一苦労する。精神的にも体力的にもめちゃ消耗、で、壊れる。エゴもスーパーエゴも撃沈。このパターンである。
これが目に見えてきたのだったら、思考がスピンし始めたその瞬間を捉える事ができ、待てよ、居心地悪いのか? っと、バトる前に落ち着いて思考以外の事実にスペースを与える事ができる… できたらいいなぁ、まだこの段階である。
そう、これを書いているこの瞬間、体に目を向けるとあちらこちらが痛いのに "考え中" の看板を出していた。ぷっ、可笑しいよね。
ひょっとして、センテンス作りが楽しいと言う域にまで達しているのかもしれない… ってっか!?
だったら、シリアスにならずに済むはずだ…
このオチでちょっと安心した、この場合、「シリアスにならずに済む」が一応のところ、完璧なセンテンスに一歩近づくキーセンテンスである。
ははは (o^^o)
一休み、一休み。
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