point of light について記述しようと思うのだけど、何をどう書けば良いのか、まだ、私の中でクリアーではない。今回のリトリートはこの point of light につてである。まぁ、分かっている事だけ書いてみよう。
何故、クリアーでないのかと言うと、point of light は色んな形で体験できるという "代物" だという。異なる形で体の内側、外側に。そして、point of light はとても重要なpassage なんだって。ここで言う passage ってどういう意味? と私は考えている。
passageを直訳すると、通行、通過、移動、通路、経路、出口/入り口、旅、乗車、流れ、進行/進展、移行、伝達などなどで、進む/渡る/通過する、と理解すればいいと思う。
point of light はとても重要なpassage 、point of lightは、ひとつのダイメンションから他のダイメンションへ、ひとつのドメインから他のドメインへ、ひとつのリアリティから他のリアリティへ、と言った具合に。
私たちは、自分の True Self 、True nature、True Spul を探し求めさまよっている、幼い頃、それを失ったその時点から…。そして、代償となるものを見つけその痛みを最小限に抑えようと試みる。
例えば、エニアグラム1番だと、パーフェクションを遂行する行為そのものがいずれ自分を取り戻す事が出来るかもしれないと考える。1番の fixation だね。このパーフェクションは、point of light のひとつの様相であり、エゴがそれ自体の方法で point of light に近づこうと試みるわけさ。私たちは point of light を自分の中の記憶として覚えているからさ。
エゴが考えるパーフェクションと、point of light のパーフェクションは根本的に違うんだろうね、きっと。point of light はパッセージだから、エゴ・コンシャスネスからエッセンシャル・コンシャスネスに移動することができる。
エゴは point of light を探し求める、エゴは探求し初める Who am I ? What my true self ?
もともと、エゴはこのように point of light の仕えていたわけさ。だから、エゴは世俗で生きながらえることが出来ている。エゴは、パーフェクションに仕えることができ、エゴはラブに仕えることができる。エゴは Being に仕えるのさ。
ただ、パーフェクションやラブの影 (シャドー) を追いかけるようになってしまうと失敗に終わるってのは前にも書いたね。DLT ではインクワイアリーを使ってこのシャドーを見ていくんだよ。どんな ホール (穴) があってどんな投影が起こっているか、何故、失敗するのかを知ることができる。
エゴは、防御や逃避したり、調整や固定したり、否定や拒絶したり、悪いエゴから理想的なエゴへ変えようと試みるが失敗する。投影 (シャドー) の中でそれをトライするから。言えば、オンリー、エゴ・ドメインの中でのハッスルである。
私たちは、少し方向を変えてみるといい。マテリアルな世界からエッセンシャルな世界へ視線を変える。すると、この試みは飛躍的な試みに変わる。私たちは成長し、拡張する。そこに、自分を変えようとする試みがなく、ただ、事実を受け止めているにすぎない。過ぎないと言ったら心許ないが、最大級の振る舞いである。この要注意なパッセージが、私自身を見つけ出してくれる、とても、リッチで尊い存在を。
Point of light の教えは 個々の Soul がそれぞれのユニークネスを見出すサポートする事にある。私の祝福、私のクリエイティビティ、個々のSoul がこの世界にシェアーしに来たのだ。役割分担、共有、おすそ分け、参加、しに来たのだ。健全で間違いのない Point of light に敬意を持って。それは、あなたが住んでいる王国の、存在からのギフトである。
無意識にこの王国を探し求めてはいるが、それが見つかるまで、私たちは幸福と感じることができずにいる。
静寂はこの王国の所有者である。だけど、私たちがそれを探し求める時、何かの興味をそそるアトラクション (シャドー) の中で探している。何度も何度も失敗する。シャドーを追うことは間違った場所で正しいものを探しているに過ぎないからだ。ゆらゆら動く蜃気楼を追っている。
チャイナク・エッション(誰かが先生に質問する) : あなたは、エゴが Point of light に仕えると言いました。エゴは スパーエゴにも仕えます、何が違うんですか?
------ スパーエゴに仕えると、あなたは自分を失い絶望感か、または、反逆児になる。エゴが、Point of light に仕えると、あなたは軽さや、喜びが体験される。エゴは、外側からの要求を満たそうとする、親の要求、社会的な要求、道徳的な要求を。だから、失敗する。エゴが Point of light に向くということは、あなた自身の光に従う事になる。故に、ここで Point of light を考察していくプロセスで多くのイシューが浮かび上がってくる。エゴ観点からのイシューは恐ろしくて取り掛かりにくい。Point of light の観点からのイシューは、あなたにリソースがあり、「オッケー、じゃ、次のイシューは何?」と、興味を持って解決しようというポジティブな意欲がある。開いてほしいなぁと言う切望ではなく、ジャンプが起こる。------
ワークはこのようにされる。エゴとスパーエゴを切りなす。あなたと他者の真実へ。シャドーから光 (真実) へ。影を見ず、影を投射する太陽に向き直る。太そして、陽の後ろには常に果てしないものがある。
私たちはどの様にそれに仕えることが出来る? どう、具体化することができる?
エゴを正しく育て、正しい道に乗せてあげる。エゴを悪いものと捉えない。エゴに Soul のタスク (仕事、任務) を提案する。それは、私が誰かが?と言う問いに大いに関わっている。
------ Point of light とは?
時には、ルミノシティー (聡明、真光度) として体験される。Soul(魂)、Spirits(精神)、光の輝き (inner star) 、True Nature ( more being)、True self (Soul) Traverer in eternal in incarnate time and space (本当の自分、肉体化された時間と空間の中で永遠に旅をする)、re-incarnate entity (肉体化された存在)、eternal youth (永遠の若者/古くても若々しく) 、スパイダー of Existance (生を紡いていくから、ステーションを紡ぎ学ぶ)、 Lord of being (存在の主) などなど。
Point of light は 沢山の姿となって現れ、沢山の名前を持つ。沢山の側面があり、神、マテリアル、アクション、ひとつのライフから他のライフへ移る。
これらのパッケージ になった Point of light は個々の目的とライフを教える。
何故か、胸の奥がチクッて痛い経験をしたことが誰にもあると思うんですが、それは古い古い痛みだそうです。
ここまで書いて、果たして、私は Point of light を理解しているかさだかではありませんが、自分の確かな体験と照らし合わせいている最中です。
こんな感じ?
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・
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