4.22.2016

あっ!!!

スーパービジョンを含めた昨日までのクラニオコース、
なんだかとても幸せな気持ちに包まれている。
思いの外、充実感が半端なく、何かしら、
深い安堵が横たわっている。

強いて言えば、十牛図の7番目、忘牛存人。
すなわち…



牛にまたがって家にたどり着く。
心は澄み切って穏やかであり、
牛もまた休息することができた。
草葺の家で安らぎ、夜明けが訪れた時、
垂れ下がった鞭とロープを持っていた私は
至福に満ちていた。





それは私が仕事を完璧にこなしたと言うことではなく、
やれることをやった程度なんだけど、クラニオコースの後、
不思議なほど内側が満ち足りていたよ。

翌日、能登で行われた Meera の桜ペイントグループを
アシストしていた友人 ヘナ、ヴァユ、タティーナと
合流して原宿でランチして明治神宮を散歩する。

久しぶりに会う、でも、なんでも話せる楽しい時間。
タティーナがダイアモンドロゴスについてたくさん聞いてくれた。
私は自分の体験とか、ワークの進行や内容についてシェアーする。
この時は、まだ気づいていない。

で、みんなと別れた後、
大阪に帰る新幹線の中で「あっ !!!」

ダイアモンドロゴスの中国クラス!
そうか、そうなんだ! 私、やっぱり、以前の私ではない。
開いたまんまなんだ、開いておくことにしたまんまだった。
落ちていってるんだ、明け渡しが始まっているんだ !!!

そう、そこに気がついた
 (.^0^.) わぁ!

なんだか、凄いことが起こっている、と知った。

5月の連休にダソと一緒に who is in をファシリテートする。
あのインテンスな瞑想に入れると思うと、とっても待ち遠しい。
とは言っても、今、この瞬間もとても静かで満ち足りている。

ゲートを潜るとそこは神の懐。




3.26.2016

私に起こっていること

中国で point of light を受けたもう一人の日本人Hanya と今日、昼ご飯を一緒に食べた。あの後、私は自分に起こっていることに少々困惑し初めていたので、会うなり、「インクワイアリーをしようよ」と尋ねてみた。満席のレストランの外で待っている間、言い出しっぺの私から始まる。

私は自分に起こっている2つのことに気づいている。ひとつは、なんだか、ぼんやりして、自分が自分でない感じ、ある意味、何が何だかわからない。

こう言った精神世界のワークの後、躁鬱的なギャップが起こることは知っている。で、少なかれ、あの興奮の後だからまぁそれもありか、っという程度に観察していたんだ。

もうひとつは、やたらに落ち着き払っている。その落ち着き方ってのがこんな調子。ちょっと面倒だなって思う小さな仕事など、いつもだと、そそくさと手際よくやってしまうのが私だが、ここんところ、こう言った事が起こる。

ちょっとした小さな仕事をする時、いきなり、覚醒する。瞬間的に「おっ…」と思うのだけど、それが起こると、その時間を楽しむ事にした。なにも急ぐ事はないのだ。人生はこの瞬間が一番美味しい。

こんな事を Hanyaに話していると、とんでもない事に気がついた。困惑部分、ぼんやりして自分が自分でない感じがする、と彼女に涙目で訴えていたとき、「はっ!」 と、ある事に気がついたんだ。

私のエゴが形を取れない。言い換えると、エゴが私を形取っている。私が "私" という時、それは私のエゴが自分を指してそう呼ぶ。そのエゴが形を取れなくなってきているようだ、と気づいた。これが私の困惑の原因だと知って唖然とした。

エゴが形をとれない… ってぇ?

だから "自分" がぼんやりとしている、と言う風に感じていたんだと分かった。イメージ的に言うと、私という人物の輪郭がぼやけているという感じ。

こんな事に気づいて、私は、また、ダイアモンド・ロゴスのとんでもない凄さに嗚咽してしまった。知らぬ間にこんな風にワークされていたなんて、凄すぎる!  Faisal ( DLT の創始者 ) の顔が浮かんだ。

実際、なんやかんや言っても、私は諦めていたんだとまたまた思い知らされた。自分には絶対起こるはずがないと。何が起こるのか、起こらないのか、その実態もわからないままに。

エゴがこんな風に輪郭を無くすなんて、そして、いずれ、消えるかもしれないと知った。私は、エゴが無くなるなんてありえへんやろう、と信じきっていた、と思う。だって、それは " 私" なんだから。私が、無くなるなんて、ありえへんやろ。

中国の Point of light の2日目、欠けていたパズルに何かがスポッとはまった体験に至極興奮していた。見当たらなかったピースがあの瞬間、収まった。扉に鍵が差し込まれカッチャと音がしたのだ。

別にどうこうするわけでないが、開いた扉は今も開いたままにしてある。何か、特別な事が起こるわけでもなく、また、扉の中に入って行くわけでもない。ただ、開かれたままであると知っている。

そして、私は今日、もうひとつの事に気づいた。それは…

もうすでに、崖から突き落とされていた。それに気づいたとき、マスターの影がちらっと見えた。 恐れもないけど、抵抗する術もない。ただ、また、涙が浮かんだ。

私はこのふたつのことをそのままにしておく事にした。ひとつは、扉は開いたままである。そして、もうひとつは、すでに崖から突き落とされていた。私はどこかに落ちていくのである。

エゴが形を取れなくなっていくのなら、きっと、留まろうとする者もいなくなっていくんだろう。それを見ていることにした。




3.14.2016

自分への旅


私は who is in 公案を使った瞑想リトリートをけっこう続けている。
今や、ファシリテーターとなっているぐらいに。


この瞑想は本当に即効性がある。


しかし、とても禅的なアプローチ故に、
核心にたどり着くのは至難の技である。


例え、そのすぐ近くにいたとしても、本人が気づかない。
何故なら、"何" を探しているのか知らないのである。


何かあるんだろうと言う霊妙的感覚だけが
それを突き動かしているのだ。


だが、たどり着こうとする場所も、
色も、味も、匂いも、Unknown なままである。


だからと言って、たどり着いたら終わりでもない。
"体験の中にい続ける" と言うのが正しい説明かもしれない。


考えるのではなく、"体験" を体験し続けることに留まるのである。
ここが、その入り口であり、始まりとなる。


核心にたどり着くのは至難の技であると言ったにも関わらず、
私は、この瞑想は即効性があると言った。


そこが嬉しいところだ。


"それ" が起こるとき、一瞬にして起こる。
まるで、ワープしたように、扉が、突然に開くのだ。


突然、あなたはその場所にいる…
そして、そのことに気づく。




分からないままにも、この技法を数日続ける。
使われる技法はアクティブ瞑想と公案。


アクティブ瞑想は体を浄化し、
ある種のエネルギーの通りを良くする。


公案は心理的 (感情、思考) の様相を見続け、
それから自分が切り離されていくのを観察し続ける。


ビッパッサナは無言で観照する。


公案はビパッサナは違い、自分に起こっているありとあらゆる
 (考え、気持ち、感覚) について公言しながら観照し続ける。


すると、思考の鍋が空っぽになる。


現代人にとって即効的であり、
同時に痛みや不透明感も明るみに出るので浄化される。




私は、ダイアモンド・ロゴス・ティーティングスと言う
ワークに出会って、そこで行われる最初の
 5つのラティーフのプロセスは素晴らしく的を得ていると思った。


who is in のように、自己を探求するエクササイズは
インクワイアリーを使う。


しかし、こちらのガイダンスは禅よりも親切である。


心理学的な講義があり、段階的に不純物を取り除いてくれる
セラピュティックな側面がある。


私たちは、この社会で生き抜くために
自分を檻に閉じ込めた。


本来備わった能力を最低限にセットし、
自分につながる扉を封じ込めたのである。


Who is in 瞑想にも
セラピュティックな要素が無いわけではない。


実際、あるのだ。


しかし、こちらは、理的な理解が促されたりしない。
そこがミソである。


強烈な光とトラウマを超越した理解が起こる可能性が
奪われないように構成されている。


もちろん、公案に向かっている人が何を見たいかによるが、

自分が真実であるかどうか、
強烈に映し出される体験をするのは間違いない。


自分への旅は、真理を求める探求者の旅である。
そして、この旅は我が家へ帰る旅である。


その入り口でさえ、甘露で芳しい。





3.12.2016

Point of light 続き





まずは、Facebook にコメントした内容を記述。
ブログにも残しておきたい。

そして、ブログの方は、その後に、更に続く。



--- Facebookのコメント---

簡単な話にすると、point of light という乗り物に乗って私たちは旅をする。
産まれる前は Abusolute 絶対的なフィールド、ピュアーアウェアネスであった。

その 境界と制限のない oneness から切り離され、
point of light は物質界に精神を持つ魂と呼ばれる個の存在となる。
この精神は無知から知識、知識から知恵と成長することができる。

個となった存在はこの星で集団的に "何か" をやり遂げようとする。
個のクリエイティビティ、マス (集団) のクリエイティビティ。

ある意味、自分を証明しようとする。

そこに、point of light に備わった本質的な要素、愛、共感、意志、力強さ、喜び、
継続性、想像力、創造力、沈黙、慈悲、などといったツールがある。

しかし、個がマス(集団)になった時、道徳、比較、罪の意識、
恥などが新たに生まれた。

証明はこれらからいかに逃れることができるかに置き換わる。
そして、本質的要素はこれらの新しい制限的意識に乗っ取られ、忘れ去れてしまう。

DLT は、どのようにしてそれを失ったか? 失ったものは何か? 
本来の自分の個性を発掘する。

個であり、それぞれがユニークな質を持つ個であり、
なぜ、この世に生まれ落ちたのかの意味を知る。

どうも、個には目的があるようだ。

だけど、目的はエゴの知り得るところではないよ。
エゴは point of light に仕えることで目的を思い出す。

私が思うに、自分が楽しいと思えるなら、正しい道の上にいるってことさ。
辛くて苦しいなら、スーパーエゴ(制限的意識)に乗っ取られているわけさ。

で、個がパーソナリティやエニアグラムの fixzation であればあるほど、
俗世界のドメインにマニフェストしている。

個が、point of light に身を委ねると本質的要素の体験として続く。

ここまで書くと思ったのは、point of light は絶対なるものから生まれ、
"情報収集する何か" ではないかと思えてくる。

その何かとは、point が個であれば、光の個。
個はパッセージ(移動、通過、出入り口)で、
パッセンジャー(乗客)でもある。

物質世界を体験する旅に出た "光の個" 。
そして、いずれ、絶対なるものへ帰っていく。

科学的に考えると、パッセンジャーは情報収集する、
量子的な微細界によって成り立つ宇宙という生き物の
神経系的な役割を果たしているとか、ははは、飛躍しすぎ?

まぁ、例え、それがセオリーであっても、
個 (個人) としてマチュア (成熟) にマニフェスト (生きる) できるまで、色々あるわさ。

中国にいた時、こんな話を聞いたよ。
現在に生まれてくる子供はインディゴチャイルドって呼ばれるんだって。

私たちよりすでに高度な頭脳と身体能力があるらしい。
つぅことは、収集された情報は新しい新人類、
バージョンアップした光の個を生み出してるってことでないかい?

 ---Facebook のコメント 終わり ---




ここまでは、Facebook のコメントで書いた内容。

続きがある。

上記のような話は何処かで聞いたことがある話であり、
point of light を受けに来た私にとってさほど重要ではない。
リトリートで耳にした内容に私がコメントを入れた具合である。

私はこのリトリートの2日目に興奮した。
それは何か? ここが、私にとって非常に重要なのだ。

"Absolute 絶対的なもの" から生まれたとすると、それは自分の外にあり、
再び、そこにたどり着く旅をしなければばらない。

宇宙は外にある、神さまも自分と一体ではなく誰か自分以外の存在、
無は私たちの周りにあるが無が私たちの実態であると表現しない。
上記を言葉のまま鵜呑みにするとそういうイメージが払拭されない。

私の興奮は、ある瞬間、それが起こったんだ、
私が無であり、無が私である。

それを宇宙と呼ぼうが、神と呼ぼうが構いはしない。
衝撃的だった一瞬の出来事。

しばらく、それを言葉に置き換えられなかった。
何が起こったのか、分からなかったからである。

探していたものは外になく、この "生身の私" だった。

私はこれまでに、どうも、
イメージを追い掛けていたようだ。

そして、これは違う、これも違う、
あんなどでかいもんが私にコンタクトするはずがない、
半ば、諦めな振る舞いだ。

私にそれが起こるわけはない、私なんかに…。

私は、私のイメージの中でそれを探していた。
イメージは頭の中にある。

looking thing in the wrong place とはこの事。




今日、玄関周りの植木の枝を切っていた。

春や初夏になって新しい芽が出やすいように。

私は至って穏やかで、瞬間瞬間の作業に専念できた。

私が無であり、無が私であった。

私は目を瞑ると自分がどんどんシフトしていくのが感じられる。

開いた扉は開いたまま。









3.11.2016

ファイナリー、point of light

point of light について記述しようと思うのだけど、何をどう書けば良いのか、まだ、私の中でクリアーではない。今回のリトリートはこの point of light につてである。まぁ、分かっている事だけ書いてみよう。

何故、クリアーでないのかと言うと、point of light は色んな形で体験できるという "代物" だという。異なる形で体の内側、外側に。そして、point of light はとても重要なpassage なんだって。ここで言う passage ってどういう意味? と私は考えている。

passageを直訳すると、通行、通過、移動、通路、経路、出口/入り口、旅、乗車、流れ、進行/進展、移行、伝達などなどで、進む/渡る/通過する、と理解すればいいと思う。

point of light はとても重要なpassage 、point of lightは、ひとつのダイメンションから他のダイメンションへ、ひとつのドメインから他のドメインへ、ひとつのリアリティから他のリアリティへ、と言った具合に。

私たちは、自分の True Self 、True nature、True Spul を探し求めさまよっている、幼い頃、それを失ったその時点から…。そして、代償となるものを見つけその痛みを最小限に抑えようと試みる。

例えば、エニアグラム1番だと、パーフェクションを遂行する行為そのものがいずれ自分を取り戻す事が出来るかもしれないと考える。1番の fixation だね。このパーフェクションは、point of light のひとつの様相であり、エゴがそれ自体の方法で point of light に近づこうと試みるわけさ。私たちは point of light を自分の中の記憶として覚えているからさ。

 エゴが考えるパーフェクションと、point of light のパーフェクションは根本的に違うんだろうね、きっと。point of light はパッセージだから、エゴ・コンシャスネスからエッセンシャル・コンシャスネスに移動することができる。

エゴは point of light を探し求める、エゴは探求し初める Who am I ?   What my true self ?  

もともと、エゴはこのように point of light の仕えていたわけさ。だから、エゴは世俗で生きながらえることが出来ている。エゴは、パーフェクションに仕えることができ、エゴはラブに仕えることができる。エゴは Being に仕えるのさ。

ただ、パーフェクションやラブの影 (シャドー) を追いかけるようになってしまうと失敗に終わるってのは前にも書いたね。DLT ではインクワイアリーを使ってこのシャドーを見ていくんだよ。どんな ホール (穴) があってどんな投影が起こっているか、何故、失敗するのかを知ることができる。

エゴは、防御や逃避したり、調整や固定したり、否定や拒絶したり、悪いエゴから理想的なエゴへ変えようと試みるが失敗する。投影 (シャドー) の中でそれをトライするから。言えば、オンリー、エゴ・ドメインの中でのハッスルである。

私たちは、少し方向を変えてみるといい。マテリアルな世界からエッセンシャルな世界へ視線を変える。すると、この試みは飛躍的な試みに変わる。私たちは成長し、拡張する。そこに、自分を変えようとする試みがなく、ただ、事実を受け止めているにすぎない。過ぎないと言ったら心許ないが、最大級の振る舞いである。この要注意なパッセージが、私自身を見つけ出してくれる、とても、リッチで尊い存在を。

Point of light の教えは 個々の Soul がそれぞれのユニークネスを見出すサポートする事にある。私の祝福、私のクリエイティビティ、個々のSoul がこの世界にシェアーしに来たのだ。役割分担、共有、おすそ分け、参加、しに来たのだ。健全で間違いのない Point of light に敬意を持って。それは、あなたが住んでいる王国の、存在からのギフトである。

無意識にこの王国を探し求めてはいるが、それが見つかるまで、私たちは幸福と感じることができずにいる。

静寂はこの王国の所有者である。だけど、私たちがそれを探し求める時、何かの興味をそそるアトラクション (シャドー) の中で探している。何度も何度も失敗する。シャドーを追うことは間違った場所で正しいものを探しているに過ぎないからだ。ゆらゆら動く蜃気楼を追っている。

チャイナク・エッション(誰かが先生に質問する) : あなたは、エゴが Point of light に仕えると言いました。エゴは スパーエゴにも仕えます、何が違うんですか? 

------ スパーエゴに仕えると、あなたは自分を失い絶望感か、または、反逆児になる。エゴが、Point of light に仕えると、あなたは軽さや、喜びが体験される。エゴは、外側からの要求を満たそうとする、親の要求、社会的な要求、道徳的な要求を。だから、失敗する。エゴが Point of light に向くということは、あなた自身の光に従う事になる。故に、ここで Point of light を考察していくプロセスで多くのイシューが浮かび上がってくる。エゴ観点からのイシューは恐ろしくて取り掛かりにくい。Point of light の観点からのイシューは、あなたにリソースがあり、「オッケー、じゃ、次のイシューは何?」と、興味を持って解決しようというポジティブな意欲がある。開いてほしいなぁと言う切望ではなく、ジャンプが起こる。------

ワークはこのようにされる。エゴとスパーエゴを切りなす。あなたと他者の真実へ。シャドーから光 (真実) へ。影を見ず、影を投射する太陽に向き直る。太そして、陽の後ろには常に果てしないものがある。

私たちはどの様にそれに仕えることが出来る? どう、具体化することができる? 

エゴを正しく育て、正しい道に乗せてあげる。エゴを悪いものと捉えない。エゴに Soul のタスク (仕事、任務) を提案する。それは、私が誰かが?と言う問いに大いに関わっている。

------ Point of light とは?

時には、ルミノシティー (聡明、真光度) として体験される。Soul(魂)、Spirits(精神)、光の輝き (inner star) 、True Nature ( more being)、True self (Soul) Traverer in eternal in incarnate time and space (本当の自分、肉体化された時間と空間の中で永遠に旅をする)、re-incarnate entity (肉体化された存在)、eternal youth (永遠の若者/古くても若々しく) 、スパイダー of Existance (生を紡いていくから、ステーションを紡ぎ学ぶ)、 Lord of being (存在の主) などなど。

Point of light は 沢山の姿となって現れ、沢山の名前を持つ。沢山の側面があり、神、マテリアル、アクション、ひとつのライフから他のライフへ移る。

これらのパッケージ になった Point of light は個々の目的とライフを教える。

何故か、胸の奥がチクッて痛い経験をしたことが誰にもあると思うんですが、それは古い古い痛みだそうです。

ここまで書いて、果たして、私は Point of light を理解しているかさだかではありませんが、自分の確かな体験と照らし合わせいている最中です。

こんな感じ?

 *・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・



3.09.2016

トリニティ - レクチャーから

忘れる前に覚えていることを記述しておかないと…、それに、ノートは当てにならない。文字は時間が経つと inspire が消えて無くなる。つまり、霊感に導かれた部分。

Point of light で沢山のことを聞いた。ここに書こうとするのはその一部でしかなく、DLT の全貌は見えないけど、まぁ、ぼちぼち行くか。

まずは Trinity (3)  について。キリスト教ではそれを三位一体と言うね。DLT て言うところの Trinity と同じ意味合いかは分からんけど。

DLT では、Law of 3 (3つの法則)、Principle of 3 としている。私達はそれを知らない、気にもせず過ごしている、例えば、重力のようにそこに確実にあるもの。この3つの法則が客観性、具体性を与えてくれる。うん、理的な理解は物凄くウェルカムだ‼︎

で、今、ノートを見直している… 
乱雑すぎる ( ̄▽ ̄;)  

オーガナイザーがレクチャーをレコーディングしてくれているので後で聞き取れるから良いものの、まぁ、覚えていることを記述しよう! ははは

最初に、3つの Self がある事を理解しておこう。

1. Being 存在、実在、絶対的存在
2. Soul ( individual self ) 精神、魂、動因、原動力、物事の精髄   * point of light はここに属す
3. Ego ( worldly self ) 自我、自身、主観

そして、そのそれぞれが属する領域がある。

1. Absolute 純然たるもの、絶対的なもの
2. Essential 本質的資質、不可欠の要素、中心的要素
3. World この世的俗世界

理論上、3つに分けられているけど、これらが1つの中にあると分かっている必要がある。1つの中にあるというのもなんだな、それぞれがバラバラに聞こえるから、言い直して、1つの存在の幾つかの側面を理的に言葉で表していると言った方が正しいと思う。でなければ、どれもこれも断片になってしまう。私は今回のリトリートでそこに至ったんだ (o^^o)  

仏教で言うと曼荼羅、そうかな?  仏の本質であり、また、宇宙観であり、即ち、内的な、または、その個人のランドスケープとでも言おうか?

DLT ではそれをダイアモンド・ボディーと呼ぶよ。何故かと言うと、そのあらゆる面がそれぞれの状況や状態、内容、外部の状態と内容によって色んな輝きを発すると言う例え、ここにキラキラ感がある。つまり、私達はとてもゴージャスなダイアモンドであるらしい。だから、光を投影し、またその光を放つために磨かれるのを待っているのだ。

ちなみに3つの領域については、私はクラニオ・バイオ・ダイナミクスのティーチャーである、この Trinity にはつくづく納得させられてしまった。クラニオバイオの世界にも3つの領域がある。CRI / mid tide / long tide である。CRI はもっとも物質的な運動、mid tide は生命固有の潜在力、long tide は個やもっと大きな存在のマトリックスである。なんか、私は凄いことをやってのけているじゃないかと、じんわり感動するではないか。

さて、続けていこう! 
--- 3つのドメイン(領域)

1. Worldly Domain
私たち人間がめっちゃ "ねんごろ (積極的に絡まっている) " になっているところ (笑。  このドメインにはエゴが必須である。エゴがなければ俗世界で生きていけない。パーソナリティとエゴが機能している。エゴが機能すればするほど上手く行く世界である。この世界は物質的世界であり、パワーやファミリーカインドが支配している。ほとんどの私たちがこの世界のみに従事している。

例え、精髄を求めたとしても、エゴの範囲でしかない。関係性、パワー、マネー、成功、エトセトラ。だけど、満たされることはない。底の抜けた壺。

2. Essential Domain
この世界はエッセンスと呼ばれる。本質的資質のことだ。ほとんどの私たちはこれに気づいていない、でも、感じている。愛、喜び、などを通して。でも、それがどこからやってくるのかは知らずにいる。これはスピリチュアルな旅である。

アクシデンタルにそれを体験する。その体験をまた取り戻したいとエゴが欲して物質的感覚の中で再現しようとし失敗する。

3. Absolute Domain
ベーシックなシンプリシティー ( 基本的単純世界) 。個人的ではないもの。私たちの基盤。エッセンスがやってくるところ。存在の本質、Ocean (大海) 。

人間はこの3つのドメインを持ち合わせている。そして、それぞれがマニフェストされる。が、気づけない、知りえないでいる。

続いて …
--- 3つの Teachings

1. World Teachings
物質的な世界観の中での学び、知識。世界について、知ろうとする、学ぼうとする、パーソナリティやエゴについても。

2. Essential Teachings
エソテリック (秘技的) な教え。このような教えはそのほとんどが隠されている。探求者のみがそれを見つけ出すことができる。(point of light のティーチングは別の時に記述する)
 
3. Absolute Teachings
ベーシック・ネイチャー。本性、絶対的存在。Oneness について。

続いて …
--- 3つの Identity

1. World Identity
俗世界の中のエゴ・アイデンティティ。エゴがあればあるほど自分を表現できる、気づいてもらえる。俗世界の中で生き抜く術がここにある。

2. Essential Identity
もっと魂に根づいている。本質的資質に根づいている。このアイデンティティは俗世界にも、アブソリュート界にも移動することができる。

point of light はこの領域に存在する。存在するなんて言ったら、自分とは別個の何かみたいな表現だけどそうではない。point of light は、私の理解ではマニフェストの姿と捉える。以前にも point of light は色んな形で現れるから色んな名前がついていると書いた。ファイサルはこの呼び名にしっくりきていないらしい、が、他にいい名前がないのでとりあえずそう呼んでいる。

3. Absolute Identity
魂の潜在力。沈黙な質を与えてくれる。世界というよりは大海。"あなた" ではなく、ピュア・アウェアネス。フォームレス (家無し) じゃないよ、形が無い方 (笑。限界が無い。セルフと言う感覚がない。だから、アイデンティティとは呼ばない。

続いて…
--- 3つの Consciousness

1. World Consciousness
ある種の意識、制限を受ける、エゴによって束縛されている。駆り立てられる、悲しみ、怒り、熱い、冷たい、ミニマム。

この意識は啓発し育てることができる。ビジネスマンは啓発 (より高い認識・理解に導く) しながら成功を収める、ってな感じで。エゴ・コンシャスは育てることができ、集中させる事ができる。

2. Essential Consciousness
さらに、展開的、進化した導きの意識。もっとパノラマティック。ダイメンショナルな意識で、感情と感覚、深い感情などをつなぎ合わせる。DLT では、ダイアモンド・コンシャスネスと呼んでいるらしい。

ダイアモンドなパーソナル・コンシャスネスらしい。もっと洗練された意識。すべての様相がつながり合う。ダイアモンドのすべての側面が1つになる。ダイアモンド・ボディのガイダンスが展開される。

3. Absolute Consciousness
これは意識のオープン・フィールド。絶対的なピュア・アウェアネス。このアウェアネスがマニフェストすると "あなたは家に入った" と表現される。Wisdom と共に在る。

Absolute is pure awareness, Domain is more personal consciousness.

続いて…
--- 3つの Quest of Humanity

1. World Quest
どうしたら関係をうまくもつ事ができる? どのように愛する? どのように共同できる?

2. Essential Quest
私たちは自分が何者か知りたい、精神、生命、神とは何か?  私は誰か? 

3. Absolute Quest
私はどこから来た? そこに帰還したい、帰還するとは? 絶対的なものとは?

------ 

まぁ、取り敢えず、今日はここまで。かなりはしょって書いた。そして、先生は言った。アブソリュートからスタートしなさいと。そこにアウェアネスがある。例え、そこからスタートしてもイシューは浮かび上がってくる。でも、アブソリュートからスタートしなさい。俗世界からスタートしたら、エゴが作り出した偽りか、影を追い続けることになる。

ちなみに、クラニオバイオでも同じである。long Tide からスタートする。何故なら、long Tide は mid tide も CRI もその中に存在させ、映し出しているからである。long Tide から、大きな領域から、眺めると、正しく投影するできる。何故なら、介入しない、巻き込まれない、の立場だから。

私はこのレクチャーを受けている間、すべてが自分の中にあり、展開されていると分かった。以前は、そんな話を聞いても頭の中の想像で、実際の感覚はなかった。でも、今回は違う。扉が開いたのだ。これまでに受けた5つのラティファのプロセスが機能している。あれがなければ、ここにつながらない。

開いた扉はアブソリュートに降りていく真っ暗な階段のようにも見える。私はその扉を開けたままにしておく事にしよう。アブソリュートからの風通しが良いように。絶対的なものから本質的要素と俗世界が merge するように。 





泥が沈み始めた

ひとつ前のブログで、マテリアル・ドメイン、エッセンシャル・ドメイン、アブソリュート・ドメインについて書いた。中国で受けたDLT の point of light の先生が言ったよ、精神世界の教えは本当にシークレットで知りたくても一般人がそれを見つけ出すことは出来ない。今でこそ、色んなワークショップが開催され、その一片を垣間見ることができても、本当のところ、確信にたどり着くのは難しいね。ほとんどのワークが一部の側面を拾い上げて、核心ではなく、確信に結びつけようとしている。

ダイアモンドロゴス・ティーチングは知ることのできないシークレットな教え (秘儀) が展開されていると先生が言ったよ、私もそう思う。だから、まだパーツがはまってないサニヤシンにお勧めする。サニヤシンでなくても、自分の何かが欠けていると感じている沢山の人にお勧めする。個のインテグレーション・プロセスである。禅的に言うところの 円 になって完結するプロセスである。

ダイアモンドロゴスは現代心理学と古典的精神世界の教えがうまく統合されている、現代人の私達に当てはまるようにプログラムされたワークプロセスである。まったくの一般人であった私に縁がない光明、ラッキーかな和尚を見て知った。そして、知ってか知らずか、すべての人がそれを欲している。もちろん、エゴのレベルでないよ。

ダイアモンドロゴスの古典的精神世界の教えは、中近東のスーフィズムと、仏教、それが上手く機能している。そして、このメソッドの教祖であるファイサル (ダイアモンドロゴス・ティーチングス) とアルマース (ダイアモンド・アプローチ) はクエート人である。故に、その教えの中で日本人が聞いたことのない中近東辺りの秘儀を知ることができる。

最初、何だか、きらきらした世界観でついていけないかも、と私は思っていた。例えば、ダイアモンド・ボディとか、ポイントオブライトとか、ジュエル (宝石) とか、シャンデリアとか、城壁とか、って単語がバンバン出てくる。ははは (⌒▽⌒;)

でも、レクチャーを聞いているとそれはスーフィズム的な例えであって、分かってくると悪くない。私はふわふわした訳の分からないもんは嫌いである。キラキラしているなら、そのキラキラが何かの形で証明されなければならない。筋が通っていて、理屈が通らなければ信じるに値しないと考える人なのだ。ここにエニアグラム7番と言われる者のfixation がある、もしかして、5番的かな? とにかく、私はそうである。 

話を戻して、香港にいる時はまだ、水の中の泥が鎮まりきれていず、頭の中をまとめたいのにまとまらず、ただボンヤリと観光しているしかなかった。

香港から成田行きの飛行機に乗った途端に頭が回転し始め、インテレクチャルなレクチャーから3つのドメインについて詳細を書き込んでいこうと思ったんだ、でも、ここまで書いて、ブログの文章があまり長いと良くないと気がつき、一旦、ここで切る。ははは〜。



私自身が教えている クラニオセイクラル・バイオダイナミクス の 施術者養成コース(10モジュール)も期間的に長く1年半〜2年に渡りますが、 私がオーガナイズする ダイアモンド・ロゴス・ティーチングス も 次回の Group2『7...