7.21.2010

長座

長の座と書いて、長座。なんと響きの良い名前なんだろう。ここのお湯は最高だった。和尚庵のリトリートの帰りに温泉へ! 温泉好きの私には天国そのもの! こんなお風呂が我が家にあったら仕事に出かけるなんてあり得ないだろう。うききき ヾ(^^へ)


















和尚庵での <who is in ?> リトリート

「who is in ? 」のメソッドがどんどん広がっていく。今回は愛知県の里山、足助にある和尚庵で2泊3日のリトリート。集中した時間の中で自分に問い掛ける、「私は誰か?」、「私の中に誰がいる?」。who am I ? と、who is in ? 。今回、私は「who is in? / 私の中に誰がいる?」を選んでインクワイアリーをした。前に座る人にアンカリングされ、自分の内側を見つめる。嘘のない世界にたどり着くのに少し時間がかかる。恥ずかしいこともあるし、ばかげたこともある。だけど、それらはみんな私の中の世界にある。認めるのに時間がかかるし、それに、エゴが必死にいいわけを考える。清水の舞台から飛び込む勇気を持って認める!すると、すぐその後に頭の中の思考の世界(エゴの世界)が形を変える。ダイナミック瞑想と一緒にこれを続けると混沌とした夢遊病のような世界からあるがままの現実の世界へと戻る道に明かりがともされた。ああ、よかった。道に迷ったらやっぱりこのリトリートが私を正道に引き戻してくれる。サットプレムとヨーコのミュージックサットサングでも心がやすらいで広がった。


























7.15.2010

正直でいること

ひとつ頭の中に残っていた疑問と残念な気持ち、思い切って相手に伝えてみた。それをするのにやはり勇気がいった、今更なにを言い出すのかと思われるのではないかと、数ヶ月も前のことだから。やはり相手には伝わらなかった感じがする。ことの最初から何かおかしいぞ!っと私の中でアラームがなっていたのを知っていた。そして、この日までも、何かが違うと感じているのにそれを殺して私の中に閉じ込めておくことは出来なかった。メールのやり取りで最後に私自身は清々しく感じられた。気持ちを伝えたからだ、もやもやしたものが薄れていく。受け入れてもらえないと残念だけど、そういう思いがあるのは相手に伝わったであろう。人は近くにいると逆に言葉が邪魔になるけど、遠くにいると言葉がとても大切になる。たとえどんなことであれ、私は勇気を持って自分の気持ちを正直に伝えたいと思う。お互いに心が開けるように。

7.14.2010

love making

love making ... エッセンシャルな行為、愛がそこにないとすれ違うね。
love making ... もっと儀式的にできるよね、急ぐ必要なんてないね。
love making ...  受け入れることで成立するよね。
love making ...  自分のまったくの中心に触れることができるよね。
love making ...  嘘のない世界だね。
love making ...  恐怖が消えたら、そこに何が残るかな。
love making ...  本当に愛し合ったら、残るのは満ち足りた至福。
love making ...  瞑想的に行うと、ぶっ飛ぶね、ノーマインドの世界だね。

* 和尚の講話 youtube から・・・
          http://www.youtube.com/watch?v=xbyOE2_Yssw *
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そして、もうひとつ

* 和尚の講話 「selfish」について
http://www.youtube.com/watch?v=8LfUvi1bof8&feature=channel  *
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はとバスツアー

初めて東京はとバスツアーに参加した、英語のジョークが満載のガイドさんに感心、東京都中心部の皇居、もとは江戸城の凄さに圧倒されました。普段、電車で移動する時よりも、バスで東京都内を観光すると東京がメガシティであることにさらに気づかされる。外国のいろんな都市を訪ねてきたけど、こんなに大きく混沌とした日本の大都会は他には類をみない。皇居の周りはランニングしている人が多いが、今度、皇居の周りをゆっくりと歩いてみたいとおもった。皇居の周りの東京の町の様子や景観をみてまわりたいな。とにかく、東京はでかい。

デザイン

ん、これでいいかな。

7.11.2010

自分を観察している

普段の生活の慣れ親しんだ時間のなかではあまり感情や思考の動きに変化はなく、常にシュミレーションを繰り返しているようであるが、ちょっとしたイベントが実際に起こっているときに自分を観察していると限界のパターンがよく分かる。限界のパターンとは、感情と思考の許容範囲のエッジにたったとき、どう展開させたいのか、そのためにどのような行動に出るか。

もちろん、自分の望む方向に事がハプニングしていくように願いながらちょっとした行動に出て、そして、その結果がどうでるか待つ。微妙にもろく弱々しい体験的瞬間だ。この時、自分自身にちゃんとつながっていないと道を外してしまう。なぜ自分はそう望むのだろうか? それによって何を得ようとしているのか? その方法で本当にほしいものが手に入るのか? 頭の中で何度も何度も自分に問い掛ける。それによって私は何を埋めようとしているのか? 

エゴが心の中で小さく固まって震えている。誰か、私を助けてと。いつの間にこんなに小さくなったんだろう? 今この瞬間はそれと一緒に過ごす。この小さな私がやすらぐまで。

私自身が教えている クラニオセイクラル・バイオダイナミクス の 施術者養成コース(10モジュール)も期間的に長く1年半〜2年に渡りますが、 私がオーガナイズする ダイアモンド・ロゴス・ティーチングス も 次回の Group2『7...