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Istanbul 空港でのノウガキ

今、現在 7:34pm イスタンブール空港の国際線ターミナルの中で朝食中である。飛行機から降りてここに落ち着くまで一時間は過ぎているかもしれない。
このエリアに流れるゆるやかでかったるい女性ボーカルのBGMが眠気をそそる。関空からインドのデリーに向かう途中である。なぜ、イスタンブールで乗り換えか? は、今は面倒なので後回し。
とにかく、デリー行きの飛行機まで12時間とたっぷりある。この間、街に出てイスタンブールを吸収しようか? … 本当に街に繰り出すのか? … と考えに考えを重ねたが、"面倒" という思いの方が強かった。しばし座って考えたあげくイミグレーションから出て街に向う電車に乗るという考えに腰が立たない。ゆえに!国際線乗り換えエリアに入るバックチェックに向かったのだ。
だが、12時間は長い。飛行機待ちの人がごった返す空気の悪いこの場所で…ふぅ〜…とりあえず、より静かを期待する2階のコーヒーとスナックの店に落ち着いたところなのだ。ここは時間があり過ぎる人がのんびりと時間をやり過ごしているように見受けられる。つまり、私のような人達だ。待ち時間の一番長い人は誰か聞いてみたいものだね。
前の私だったら12時間もあればたくさんのことができると考え、間違いなく街に繰り出していただろう。12時間、見逃すものがないぐらい限られた時間の中で歩き回っただろう。興奮が私に活気を与え、次から次へとやってくるアイディアに身を震わせる。それが私なのだ。
しかし、この頃は"減速" したいと思い始めているのだ。これまではとにかく四方八方360度に手を伸ばそうとしていた。知りたい事が沢山あった。その中で、未だに続けられていることがあるのは幸せである。ひとつの事を続けることの利点は正確さと自信がつくことである。そしてさらにその良いところを明確に洗練させていきたいと思い始めてくるのだ。
それ以外に知った重要な幾つかも、このひとつの中ににどう取り入れていくかに集中力がいり、どうやら私は、今がその時期のようだ。集中するには内に向かわなければならない。集中は莫大なエネルギーが必須であり、私にそんなに余力はあるのだろうか? と思う "この頃" である。しかし、これまでやってきた事の結末というか、最後の締めというか、それはどんな花と実をつけたのかを知る…

愛、最後の課題

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今、トルコで行なわれているダイアモンドロゴスという
ワークショップに参加している。 5回に分けての流れの中で自分と向き合うリトリートで前回が2回目。
(*ダイアモンドロゴスについては下に記載。)

2回目を終えてから現在にいたるまで何故か居心地の悪い私が居る。
まぁ、そのへんはいろいろあるがまた書ける時に・・・

で、次の3回目が迫ってきているからドキドキするのと、
微妙な期待もあって、日常生活のなかで自分を見失わないように見張っている感じ。

数日前に私自身のクラニオバイオと言う本業でコースを終えたところ。
最終日はいつもアシスタントさん達と一緒にご苦労様ご飯にいく。
そのとき、私たちはよく自分に起こっていることなど話し合ったりする。

「で、こまちゃんはどぉお?」って聞かれて、
「そうね、ダイアモンドロゴスのプロセスで落ち着きが悪い感じ・・」

みたいなこと言っていたのですが、実は・・・・
その後に、ホテルに戻ってすごい気づきがあったのだ!
(なんか、こんな話しが出来ちゃう友人に感謝、
理絵ちゃん、あやちゃん、きょうこちゃん、ありがとう)



私に足らないもの、喉から、手が出たいぐらいほしいもの、
それは 愛。

近頃、特に、前回の2回目が終わってからですが、
ますます - 私はきっと自分のことしか考えていないのだろうと思い、
自分が嫌いになりかけていたのだ、あきらめに似た感じも伴って・・・

特に母親に対して敏感にリアクションをしてしまう、した後は苦しい。
私もそうかもしれないが、母親も私に対する態度が悪い! 
なんて怒ったりもするが、基本的には自分に対して落ち込む。

でも、私が怒ってリアクションするその一瞬前は
怒ってるんじゃなくて悲しいのだ、
"愛されていないと思い知らされた!" という一撃をうける・・・

ってことは???

悲しいと感じたその瞬間に私は、私の "愛" に触れた・・んだ・・・
その一撃が私の愛に触れたんだ・・・

と言うことは、私に愛がないのではなく、
触れることの出来る愛がそこにあったんだと気づいた。

ああ、私に愛があったんだ、そうか、
よかった・・・あったんだ・・・

すると、妙なもので "悲しい" と知覚した時、
私は、自分の愛に触れているんだと知った。

リアクションするよりもそのことの方が
と…