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憎しみが起こった時に知ることができる

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Black Ratifa のクオリティ はエゴの死を示唆する。意識的にいるとエゴがつくりだす問題を拡散させることができる。つまり、エゴは問題をキープできなくなり、死を迎える、しかし、sweet な死だ。ブラックは優しく静かにエゴの死を受け入れる。決して攻撃したりしない。
子供の頃に、パワーは自分以外の人にあり、自分には無いと信じ込んでしまう、パワーの何たるかを知らずに、また感じることができずに、そして、もちろん、それ故に表現できなければ、無意識にもフラストレーションに陥るか、ディプレッションを引き起こす。
本質的には、Black はPeace の質である。この Black Latifa のパワーにディストーションが生じるとパワーはヘイトに変換される。 
peace - 平穏、秩序、安心、静寂 hatred - 憎しみ、嫌悪、怨恨
hatredにはさらに、冷たい、心が無い、つながりが無い、感情多入、悪いことをしても心が痛まない、計算じみている、人をコントロールしたがる、自分のやり方以外は正しくない、他人をけなす、落とし入れる、復讐心を抱く、自分以外のパワーを壊す、すると気持ちが良い、何故なら失ったパワーを感じることが出来るから、などが起こる。
これらは本来持ち合わせているパワーを実感することができずにいる結果として生じる。上記の逆も起こり得る。例えば、人を助ける行為でパワーを感じることができたりする。悪いことではないが、必要以上に無意識の振る舞いになっていないだろうか?
他に、事が難しくなってきたら乗り越えることができず、ヘイトが生じる。エレガントな方法で見極め、間違ったパワーの使い方でゴシップ、中傷したりする。自分を隠したままで。
ダイアモンド・ロゴスは、インクワイアリーを通してこれらのエモーションに向き合う。インクワイアリーはセラピストと向かい合うのではなく、鏡のようにパートナーが座って如何なるジャッジもなしにアンカリングしてくれる。インクワイアリーは続く…
どんな方法で憎しみを止めているか?   憎しみをどんな風に出しているか? 憎しみの体験はどんな風か?
このようなインクワイアリーをやってみると無意識の自分の行動や振る舞いがあからさまになって見えてくる。そして、次に憎しみを感じた時、このことを覚えていたい。
私はこのインクワイアリーで、変な話だが、憎しみを味わって、味わって、…

"2つ" は、解消できる

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Day 3
リジェクティング(拒否する側) とリジェクティッド(拒否される側)、私たちはこの関係を内面でバトっている。つまり、内なるバトル、何かにつけて葛藤が起こる。
リジェクティング(拒否する側) がパワーを持ち、リジェクティッド(恐怖される側)はパワーレスである。プラスこのようなイメージが伴う、パワーレスはウィークだが愛らしく、また愛がある。パワーは力強いが、醜く愛が無い。
あなたは、愛らしくいるか、力強くいるか、どちらを人格的に組み込んでいるだろう?
ブラック・ラティファは静寂をもたらす。この静寂に内なるバトルは存在しない、完全なるOneness であり、aloneness である。愛とパワーのどちらかひとつに引き裂かれることはない。
二面性は静寂を破壊する。拒否する者、拒否される者。aloneness ではなく、lonelyness である。lonelyness は拒否する者、拒否される者に陥ると起こる症状である。
ブラック・ラティファは あなたが state of aloneness に留まることを指す。それを難しくしているもの、そこにインクワイアリーして、エゴ・アイデンティティ(エゴの本性) を明らかにする。
ダイアモンド・ロゴスはエゴ心理学に基づいている。私たちが "私" と呼んでいるものの正体を暴きだし、それから自由になる可能性に開いている。
What is right about avoiding aloneness ?
アロンネスを孤独と捉えると、瞑想者でない限り、様々な恐怖がやってくる。
Tell a way you resist aloneness.
そのような、孤独に陥らないようにどんな事をしているだろうか?
Tell me a way you experience aloneness.
孤独をどう体験するか? ここでは以前にインクワイアリーを深める方法として話した ソマティック・エクスペリエンス を用いる。
体験について話している最中に起こる感覚に注目し、センセーションを追い、同時に観察している。思考は想像であり、事実ではないことが多い。しかし、体は嘘をつかない。
同時に過去のショック・トラウトを解消する可能性がある。体と心から棘を引き抜くことができる。私たちを2つに分けているもの、まさにその体験の拒否された衝撃を解消させることができる。
多…

エゴが主人公 ?

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Day 3
私たちが "私" と呼ぶ者、そのほとんどが無意識にもエゴを "私" と呼んでいる。私が何かを期待する時、私はそれを "欲している" のだ、こうなってほしいと。

なぜ、そうなって欲しいんだろうか? そう、簡単に言えば、心身ともに居心地が "悪くならない" ようにだ。そのためには、バトルもきさない。。
外に向かって自分をアピールしなければならないのだ。エゴ・アイデンティティはその方法論を考えて、考えて、考え抜く。この時に起こっているのがインナー・カンバセーション、エゴとバトルのはスーパーエゴである。
そう、リジェクティング (拒否する側) のパワーを持つ者、つまりスーパーエゴと一戦を交えるのだ。エゴはリジェクティッド (拒否される側) だから、周到にかからねばならない。時には、反逆児として。時には、良い子のふりをして。時には、ディソシエート (解離) で対抗する。
基本的にはエゴがストリーのマスターであり、主人公である。これらのストーリーは、幼い子供が母親との関係性で体験したことを成人になっても "内なる世界" で繰り返すようになる。そして、この確立したイリュージョンを持って外面的にもそのように振る舞うようになってしまう。
ともあれ、エゴが主人公であり、そのストーリーはマンネリ化している。いつもの同じパターン、同じイリュージョンだから。で、ある時点で自分自身に飽き飽きする。でないかい、ん?
そう、エゴ・アイデンティティ (エゴの主体性、本性) はオブジェクト・リレーションシップ (Me + You + Affect) の中に存在することができる。

エゴのストーリーは "拒否される"と"拒否する" のパワーゲームに大きく左右されている。そして、ストーリーはこのような結論に達する、 Me は良い子/可哀想な子/正しい子 、You は悪い人/強い人/間違った考えの人。それが、どう人格に組み込まれ、自分がどのように振る舞っているか? それをまず知ることが大事である。
ブラック・ラティファのエクササイズはエゴ・アイデンティティを浮き彫りにする。そう、私たちが "私" と呼んでいる者の正体を。

Object Relationship

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Day 3
人間の子供は生まれてすぐ独り立ちできない。
助けがなければ死んでしまう。

食べ物、気温 (寒い・暑い) 、衛生、などなど、
生はサバイバルとして始まる。

これらの助けは家族にもよるが母親がその役割を果たすことが多い。

最低限これらの助けが得られるか、得られないか、
また、どう振る舞えばそれらが得られるか - などが、
のちのちの子供の人格形成へ影響する。

そして、子供の中に自己イメージが確立する。
子供は少しづつ自分で出来るようになっていく。
この成長プロセスで母親と自分が別物であるという体験を通して。

新生児にとって母親と自分の存在はひとつであった。
しかし、助けを得るための努力を通して
Me  と You (または others ) の理解が生まれる。
時に、子供が何かを必要としても母親はそれを与えることができない、
もしくは、与えようとしない。

多くの場合、対話や態度で母親とのバトルが始まる。
そして、私たちは成長してもなお、
頭の中でこのバトルが継続され、内なる囁きが始まるのだ。
子供 (エゴ自我) 、母親 (スーパーエゴ超自我) として。

頭の中に、この2者が存在するようになる。
そして、もうひとつ、それによって生じる影響。

この3つを合わせて オブジェクト・リレーションシップと呼ぶらしい。 このようにして自己イメージを築き上げていく。

Me. が私で、You. がオブジェクト、そして 影響 Affect 。 拒否される側と拒否する側 。

そんな中で、拒否される側は可哀想でも優しくていい人、
拒否する側は悪くてひどい人のイメージを作りながら、
オブジェクト・リレーションシップは妄想の世界を展開し始める。
他には、例えば、パワーある者に憧れを抱くように自分の力を他者に投影する。
この場合、弱者であるかのように振る舞う傾向にある。

弱者のように振る舞うか、もしくは反逆者として振る舞うか、
人格の側面を築く材料となる。
エゴの自己形成にこのようなストーリー性、または妄想が加わっていく。
そして自己イメージ、自我同一性 = 考え thinking に影響する。
ブラック・ラティファはこの自我同一性と自分の力 、
すなわち、拒否される側 - powerlessと拒否する側 - Power のパワーゲームを
私たちのシステムから取り除いていく、と言うプ…

Day 2 の Inquiry で

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Day 2
インクワイアリーに使われた不思議なセンテンス、
何を聞かれているんだろうと?

ちと、ひるむ。
Tell me a way you experience being rejected.  "拒否された" をどう体験した?

私は最初のとっかかりで誰が関わって、どんな態度で、どんな状態で
などの状況的ストーリーに入ってしまった。
それではインクワイアリーが深まらないことに不満を感じつつも。
そもそもの間違いに気づいた時、なぜ深まらないのか納得した。
インクワイアリーは"拒否" 自体の体験について尋ねているのだ。
拒否がどんな体験だったかと今更に思い出してみると...

それは云々云々のストリーではなく、
衝撃的な感覚が最初に起こり、
次にパニック、そして、悲しみがやってきた。
衝撃的な感覚は、頭の中が真っ白になり全てが凍りつく感覚。

時間も思考も感情もありとあらゆる全てが瞬間的にストップする。
そして、このような自分の状態にパニックする。
得体の知れない感情のようなものが一気に流れ込んできて収集がつかず、
何が起こっているのかさっぱりわからない、パニック状態。

どうリアクションして良いのか、それすら恐怖を感じさせる。

拒否されることは小さな出来事ではないのだ。
(ちゃんと観察できれば)
内側が精神分裂の寸前までいってしまっているのだ。
そして、この恐ろしい状態は拒否されるたびに毎回起こる。

あまりにも毎回体験するから、しこりのようになって、
パニックに慣れ親しんでしまった。

ひどい話だ。

次いで言うと精神分裂は茶判事である意味、
可笑しな自分になってしまっている。

もう、自分自体が手に負えない、
私のディソシエーションはここから来ているのだろう、間違いない。
と、ここまで書いたが、

そして、ある種の理解は得られたが、これでは深まらないのだ。
知らないよりマシだが理解してもリリースは起こらない。

ましてや、下手するとエゴとスーパーエゴの格好の餌食になってしまう。
インクワイアリーを厳密に行うなら、
衝撃的感覚の体験を描写しそのセンセーションを追う。

パニックの体験を描写しそのセンセーションを追う....
まぁ、そんな怖いこと…  ^^;  
しかし、気づきの中で意識的に行うとトラウマに落ち入ることはないだろう。
そう、S…

リトリートの2日目の朝の瞑想中に…

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前回のグリーン・ラティファからこの朝に至るまで、私はいつもの私を失っていたのだ。つまり、数ヶ月に及んで "ひらめき" が起こらなかった。ありえないことだ、私は常時ひらめきまくっているティピカルなエニアグラム7番である。
が、グリーン以来、全くといってひらめいていない。ジェットラグだと思っていた。ついこの間、一ヶ月ほどの間に国をまたいで 6回も飛行機に乗ったのだ。もしくは、忙しくしすぎて脳がパンクしたのかもしれない。
が、今朝の瞑想の最中にひらめきが起こった。幾つかのひらめきが… あっ、あれ? 戻ったぞ! いつもの私の頭の働きが、戻ったぞ! ちょっとホッとした。私は、もしかしたら、このまま呆けていくのかもしれない的な心配を持ち始めていたところだったのだ。
そして、瞑想中にこんなことも思い出していた。子どもの頃、それもかなり小さい私だ。誰かに突き飛ばされて頭を強く打った! と私は思い込んでいる。と言うのを思い出した。
予期せぬ、好ましくない状況の中で頭を打ち、今でも脳にダメージを残していると。そして、このダメージを回復させたいと強く思ったのだ 瞑想中に… 。私が何故、クラニオを選んだのか納得がいく。
私が実務的な思考を好むのは、安全だからである。私は感情が苦手なのだ。感情的ではないという意味ではないよ。ただ、物事を考える時、実用的か、そこに無駄はないか? と実質的な考えに留まっていると安心するのだ。だって、エモーションが必要ないでしょ。私の母がめっちゃ、感情型だから、感情というものが怖いの。
… なんて事を瞑想中に考えていたのだ。そう、瞑想中に。


ブラック・ラティファ Day 1

Day 1 
Diamond Logos / Black Latifa リトリート、イスタンブール空港で待ち合わせた参加者のひとり、ブラック・ラティファが2回目というカトリーナからその体験を聞いて少々、ビビった私がいる。「ブラック・ラティファがコアでその周りにレッドの壁がどないか、こないか…」と、彼女が話していた。
それは彼女のプロセスに起こったことか、それともレッドが必ずブラックの周りを取り囲んでいるのか、この時点では定かでないが、とにかく、レッド・ラティファのプロセスは私にとって困難だったと覚えている。母親との関係性が無性に私を傷ついた子供に陥し入れたのだ。
私にとってのレッドは未だにコンフュージョンである。もう一度、レッド・ラティファを受ける必要があるかも…ふぇ。何回受けてもいいらしい。それよか、他のを受けているうちにまた同じラティファを受けたくなるんだって。
それはさておき、今回のブラックはボォ〜っとせず、しっかりと取り組むようにと自分に言い聞かせた。困難に出くわしたとき、私はディソシエートする傾向にある。
さて、初日の講義の内容をリマインダーとしてここに書いておくと、Black Latifa は Peace。このラティファのセンターは第3の目、inner see、私たちのdeep water の根源、つまり、ミステリーなのである。
私たちは自分が誰か知っているつもりでいるが、しかし、表面的にである。あなたが眠ってしまったらそこにもう表面的なあなたは存在できない。眠っている間、あなたは自分がどこにいるかも知りえない。それはまるで、死の淵のようでもある。ブラック・ラティファはこの死の淵に行くことを可能にする。
私たちは新しいことに興奮するが、同時に変化することに恐怖を覚える。変化を受け入れることにビビるのだ。このブラック・ラティファでそのことにチャレンジしていく。チャレンジと言っても、優しく、静寂的に、これまでと違った方法で。
その方法とは、馴染みの思考とその思考プロセスにチャレンジしてみるといった具合だ。特に、thinking process。目覚めと共に思考が働き始める。スーパーエゴが何かを企ててエゴを掻き立てる。思考はどんどん忙しく回転し始める。しかし、実際には何ひとつとして目新しくなく、どれもこれもお馴染みの思考、そして、それらはオリジナルではない。(ダイアモンド・…