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ダイアログ(対話法)と悟り

私はこのダイアログの素晴らしさに一瞥を向ける。その技法はまったくシンプルで、個人のインテリジェンスを効果的に引き出すことができるからだ。方法は簡単、とは言っても、最初はその感覚とコツをつかむことに苦心するかもしれない。

しかし、何であれ概念(事事の本質を捉えようとする思考の形式)は、・・・簡単に言うと、自分の頭の中で展開されている物の見方だが、それは世界を展開しているのと同じ意味でもある。そして、それは『物の見方』と言うめがねを通して行なわれている。事実、起こっていることをそれぞれがそれぞれの方法で理解する。それを丸くみるのも、四角くみるのも、物の見方に左右されているのである。

では、『物の見方』について吟味する必要があるだろう。過去の体験、自分の体験と、社会の常識との間の生じた自己的な協定または妥協によって物の見方の基盤が生まれる。ここをよーく、理解しなければならない。自分の考えが、自分のものだとは限らない事を知る権利がある。「私は何故、この事を "このように" 考えるのか?」それは本当に、自分の深い理解から生まれた事なのか? これを理解しないと、まさに、"自分の考え"と思い込んだその捕われの世界にしか、あなたは存在する事ができない。"考え" よりも、その考えの根本、そう考えると見なした出発点の方が重要なのだ。

世界は自分の中に作り出される。多かれ少なかれ、人間が共有する同じような共通の世界観は、いわば、私たちが作り出してしまった世界と言ってもいいだろう。そして、それは事実ではない。実らない恋愛、満たされる事のない欲望、失う事の悲しみ、ちぐはぐな関係性、満足しない心、他人の幸せは自分の不幸を思い知らせる、戦争で解決しなければならないと言う緊迫感、もっと満たさなければならないと言う焦り、そして、"常識" というバイブル。このような感覚はいったいどこからやって来たのか? 

ダイアログ(対話法)は、その考えの出発点に自分を導いてくれる。そう判断するまさにその瞬間に導いてくれる。すると、どう判断するのかではなく、判断そのもの自体が消え去る。ここに、悟りの一瞥がある。ダイアログは、決して、修行というものではないのだが、まさに、誰にでも、瞬間的に悟りに導く事ができる。ただ、あなたが悟りについて…

振り返ってみて。

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アメリカから戻って、あれよあれよと言う間に時間が通り過ぎていった。先日、友人に「アメリカでの様子をブログでみました」っと言われて、そういえば、ブログにはほんの一部を紹介したのみで、その後は携帯でイージーログインできる facebook で写真などを載せながら旅の経過報告をやっていたので旅の間に体験した面白い話など、長い文章になりそうな報告はできていなかった。

それとブログは私にとって、自分の中の、吐き出したいちょっことしたことを書くスペースだったのが、読んでくれている人がいるんだと、ちょっと嬉しかったりして・・・。

で、振り返って思い出してみようと思い、ここに座ってみた。

今回のアメリカ旅行はもちろん、ワークショップを受けるために行ったのだけど、行く前から、これは私自身の心の休暇にしようと決めていたこともあり、カリフォルニア州バークレーでのWSが終わった翌日、サンフランシスコ空港からフェニックスへ飛び、ここで前もって予約していた大型のレンタカーを拾い、セドナに向かった・・・。

まあ、とは言え、自分のためにもまとめを書いてみよう!

バークレーでのWSはアメリカに到着して3日後、大阪からサンフランシスコに到着したのは朝の10時頃、ホテルについたのがお昼過ぎ、この日は、何もせず、お部屋でゆっくり休もうと、持って行った小説をベッドの中で読みながら、また、うたた寝しながら過ごした。これは日本でも、このような何もしない時間をずーっと持ちたいと願っていたので、したい事のひとつだったので、よーく体がよく休まった。ホテルは中級、豪華とは言えないが、ヨットハーバーのすぐ脇にあり、のどかでお部屋も十分満足がいくぐらいクリーンだった。





翌日、丸一日、空き日、さあ、何をしようか? どこに行こうか? 迷ったあげく、本当は少し郊外へ出てカリフォルニアワインのワイナリーへ行きたかったが、少し、寝坊したのと、ちょっと遠いのであきらめ、結局のところ、サンフランシスコの町を散策することにした。バークレーからサンフランシスコのダウンタウン、パウエル駅まで電車で30分程度。もちろん、かの有名なちんちん電車があちらこちらと走っている。それに乗る前に、パウエル周辺をうろうろとしてみようと思った。ここでは、町並みを楽しみながら大きなデパートや現代美術館へも足を運んだ。









現代美術館では面白いアーティストの写真が…