2.20.2011

私のアートインテンシブと死:思い返して見ると・・・

今回、Meeraのアートインテンシブの最中に親しい友人のRupeshの死を迎え、私自身はまったくセンターに根づいていなかった。自分でも頼りなく吹けば飛んでしまいそうだった。悲観的な悲しさなどではなく、死に対する無抵抗感とでも言おうか・・・、人は死ぬんだと言う事実を目の当たりにした感じである。親しい友人の死を始めて体験した。いつもそばにいた友達ではないが、心深く私に影響を与えた人物でもある。内側の何かが止まった感じで何をどうしていいか分からなかった。

アートインテンシブではプライマルという、なんの造形も考えずに色をのせていく作業がある。この時点で、私は絵が描けない状態に陥っていた。自分につながれないのである。私の細胞がばらばらにこぼれまくった感じであり、まったくと言っていいほど統合感がない。それがアートトレーニングの最終日まで続いた。トレーニングが終わって、私はこのまま日本に帰るのだろうか? と自分自身に問い掛けてみた。そして、自分を取りもどす作業が起こったのはexhibitionに出す絵を描き続けることでなされた。ひとつの絵に向かって無心に描き続ける。

死が間近に感じられ、今この瞬間しか存在しないことを知る。だから、真実とともにいたいとさらに願うようになる。私は<何か>に気づいたと思う。それは前々から知っていたことだ。そして、それはいつも後回しにしてきた。だけど、いちばん大切なこと、最後の扉。この扉の前に立つ勇気がなかったのだろう。永遠の明け渡しは恐怖に値するとマインドは思い込んでいた。私が私でなくなるからだ。ましてや、あれが扉とは気がつかずに。

私はそのゲートが開くその瞬間を見逃さないように目覚めていよう。神に願う。私の意識がその時に目覚めているように。私の生はそれで達成される。あの時のように、すべてが静止し、自分の何かがとても静かになる。ブッダの境地とはあのようなことか。



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