3.14.2016

自分への旅


私は who is in 公案を使った瞑想リトリートをけっこう続けている。
今や、ファシリテーターとなっているぐらいに。


この瞑想は本当に即効性がある。


しかし、とても禅的なアプローチ故に、
核心にたどり着くのは至難の技である。


例え、そのすぐ近くにいたとしても、本人が気づかない。
何故なら、"何" を探しているのか知らないのである。


何かあるんだろうと言う霊妙的感覚だけが
それを突き動かしているのだ。


だが、たどり着こうとする場所も、
色も、味も、匂いも、Unknown なままである。


だからと言って、たどり着いたら終わりでもない。
"体験の中にい続ける" と言うのが正しい説明かもしれない。


考えるのではなく、"体験" を体験し続けることに留まるのである。
ここが、その入り口であり、始まりとなる。


核心にたどり着くのは至難の技であると言ったにも関わらず、
私は、この瞑想は即効性があると言った。


そこが嬉しいところだ。


"それ" が起こるとき、一瞬にして起こる。
まるで、ワープしたように、扉が、突然に開くのだ。


突然、あなたはその場所にいる…
そして、そのことに気づく。




分からないままにも、この技法を数日続ける。
使われる技法はアクティブ瞑想と公案。


アクティブ瞑想は体を浄化し、
ある種のエネルギーの通りを良くする。


公案は心理的 (感情、思考) の様相を見続け、
それから自分が切り離されていくのを観察し続ける。


ビッパッサナは無言で観照する。


公案はビパッサナは違い、自分に起こっているありとあらゆる
 (考え、気持ち、感覚) について公言しながら観照し続ける。


すると、思考の鍋が空っぽになる。


現代人にとって即効的であり、
同時に痛みや不透明感も明るみに出るので浄化される。




私は、ダイアモンド・ロゴス・ティーティングスと言う
ワークに出会って、そこで行われる最初の
 5つのラティーフのプロセスは素晴らしく的を得ていると思った。


who is in のように、自己を探求するエクササイズは
インクワイアリーを使う。


しかし、こちらのガイダンスは禅よりも親切である。


心理学的な講義があり、段階的に不純物を取り除いてくれる
セラピュティックな側面がある。


私たちは、この社会で生き抜くために
自分を檻に閉じ込めた。


本来備わった能力を最低限にセットし、
自分につながる扉を封じ込めたのである。


Who is in 瞑想にも
セラピュティックな要素が無いわけではない。


実際、あるのだ。


しかし、こちらは、理的な理解が促されたりしない。
そこがミソである。


強烈な光とトラウマを超越した理解が起こる可能性が
奪われないように構成されている。


もちろん、公案に向かっている人が何を見たいかによるが、

自分が真実であるかどうか、
強烈に映し出される体験をするのは間違いない。


自分への旅は、真理を求める探求者の旅である。
そして、この旅は我が家へ帰る旅である。


その入り口でさえ、甘露で芳しい。





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