9.12.2011

無意識についてちょっと目から鱗

昨日、アムリッタがヒプノのセッションをしてくれた。
セッション中、私が向き合っていたのは無意識。
アムリッタが丁寧に<無意識>の振る舞いは、単に無駄ではなく、
そこには必然的有効性があると教えてくれた。

うん、なるほど、そういわれてみれば、その通りだ。
でなきゃ、これまで生きて来れなかっただろう。
その角度から見た無意識はちゃんとうまく機能している。
感心した、ちょっと目から鱗な感じ。

同時にほっとした。

無意識と言う用語は一般的にも、どちらかと言うと、
良くないイメージを持っている。
まさに、無意識に「無意識はまったく無能だ!」っと
言う風に私も捉えていたふしがある。

無意識は、内なる民衆の声とでも言おうか、
人類的考えの総合商社とでも言おうか、
体験的理解の引き出しと出も言おうか、
ただ、表面的な意識に上がってこなくても良いものであっても、
その時、自分にとって最大限に必要な反応として現れる。

例え、それが他人から見てばかげた反応であったとしても。
それは、ある理由から必然的反応、行動、行為であろう。
それで、後で思い出してみると、何でそんな反応を!ってことになる。
恥ずかしかったり、自分でも驚いたりで。
しかし、その反応自体がはっきりと明確にものを言っている。

表面的な意識は世間を気にして、悪く言うとつくろう風潮にある。
だけど、無意識は純粋に正直である。
つくろうことが出来ないから発見されないように
意識の届かない層に潜り込むのだ。
だとしたら、私たちは意識より無意識に目を向けるべきだろう。
そこに真実があるのだから。

自分を知るには内なる声に耳を傾ける必要がある。
つくろうために、それを都合良く何か別のものに変えずに、
怖くてもありのままを目撃する。

ちょうど、意識と無意識の混じり合ったところ、
そこを通り抜けるのは一苦労かもしれない。
うまく通り抜けたらピュアーな無意識の層が広がっているのだろうか?
おっ!? それって超意識のことかな? 覚醒のことかな?

ラッキーかな、数日後に控えた
<Who is in リトリート>で私はそれをやってみようと思う。
勇気が湧いてきた、楽しみだ! 今、ちょっと私の無意識に聞いてみた、
おまえは発見されることを楽しみにしているか?

にんまりと微笑んだ私の顔が見えた。

<Who is in 3 day リトリート/9月16日〜19日>
http://awareness-intensive.jp/schedule.html


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