1.31.2012

あの2週間のSATORIはまだ続いている

あれはもうすでに去年の11月のことなんだ。
やはり、思った以上に何かが軽く、意識が向こうからやってくる。
変な言い方だけど、私は気づいている。

例え、私の脳が退化し始めようと意識は退化しない。
それは、常に機能していたし、私とともに此処にある。

何かをど忘れしても、計算がうまくいかなくても、
なまけものでいても、大変に事態になっていても、嬉しいときも、
意識自体に変化はなく、生まれた時からまったく変わらない。
ただ、気づいている者、それが意識だ。

2週間のSATORIでの私の公案は「 Consciousness 」
いやでもこの「Consciousness/意識」に向き合わなければならない。

一見、とてもスピリチュアルな公案のようにも思えるが、
まったく退屈な公案であったことは言うまでもない。
「意識とは何か?」と言う公案に毎日うんざりしたのを覚えている。
それは常にそこにあるし、しかし、それは変化しない。

公案が「愛」や「真実」ならば感情も混じり、
なにかと浮いたり沈んだり出来ただろうに、
「意識」には飾り物がまったくついていない。

意識は純粋無垢であり、なににも混ざることがない。
純粋でないのはエゴが私を覆っているだけの話しである。
生きるとは、何を知ることなのか?

エゴは Yes / Noの世界に君臨する。
Yes / No の中間、中立、そこに答えがありそうだ。




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