5.07.2012

7日間のSATORI体験

昨日、7日間のSATORIリトリートから出てきてた。
その日は、長野県上田市から大阪の実家に戻り、
お風呂に入ってベッドに直行。


東京経由で新幹線に乗った時から、父と少しした会話とお風呂以外は、
ずーっと i pad で和尚の講話を聞き続けていた、電池が切れる限り、
睡眠に落ちてからも聞き続けていた。


どうやら、Nirvana The Last Nightmare の第6話まで
続けて聞いていたことになる。
瞑想者にとってとても内容の深い講話で
少しも退屈せずに、ずーっと聞き入っていた。


今朝、いつものように新聞を読んでみようと手に取ってみたが・・・
活字が頭の中に入ってこない、すぐ、やめた。


そして、気づいたのが、身体の感覚、聴覚が特に研ぎすまされている。
近くの音と、遠くから聞こえる音、そして、その間にある音のない音。
この都会に居ても、この瞬間のすべてが私を、
あの空間に誘ってくれる、サイレントの空間に。


身体に微妙なけだるさがあるが、内側は、とても静かで、
この7日間、どこまで旅をしたのか、都会に戻ってきて確信できた。


この確信は、成長し続ける、私が覚えている限り。
私が、再び眠りの中に落ち込んだとしても、
私の観察者はもはや、私の前に出てこようとして、
私を眠りから救ってくれるだろう。


何度も、Who is in とSATORIのリトリートを体験して来て、
今回のリトリートは、さらに瞑想の奥行きを見た。
これまでに理解したことが、まだまだ夢の中であったことも。


私はマインドで聞き、マインドで見ている。
マインドのしくみが何たるか、どこまで深く一体化しているか、
どれだけそれに頼っていたことか、私はまったくマインドの奴隷に過ぎない。


今、ここ、この瞬間に自分の中心に重力を合わせると、
体験だけが、私の身体を通してやってくる。
私は、ただ、それを観察しているだけ。


必要なことは、向こうからやってくる、
思考が私に何をしろと言うのではなく、
日常生活のやるべきことも向こうからやってきて、
そして、私は動く。


マインドに突き動かされるのではなく、
静かに座っていれば、それは自然に受け入れられ、自然に身体が動く。
この感覚を覚えていれる限り覚えておこう。


今、この瞬間の体験だけが、
私を自分のオリジナルフェースに導いてくれる。


そして、それがマインドからやってくるのか、
私の中心からやってくるのか、今はまだ見極めることが出来ている。
この感覚を覚えおこう、これが瞑想と言うものだと理解した。



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