7.08.2013

女性の生理と神様のしきたり


一昨日からカクナール村のフェスティバルが始まった。何やら、神様の入れ物を新しく作り替えたお祝いらしい。初日、御神輿となってかつがれた神様はここから数十キロ離れたバシーシ村まで笛や太鼓の音楽隊と、その他村人50人ぐらい付き添って練り歩き往復した。バシーシ村はここら一帯でも温泉が湧き出る村として有名でもある。例えば、地球の歩き方インド編には記載されているであろうと思う。フェスティバル二日目も村の神社で神様の行事が行われた後、村人および訪ねてくる人々に分け隔てなく無料で食事が振る舞われた。これはどうやら数日続くようだ。行事の様子はまた機会があれば書いてみたいと思う。

カクナール村が祭っている神様はカルティケ(シバとパルバティの息子)と、その母、パルバティである。神様の入れ物とは、日本で言う所の御神輿のようなもので、装飾のなかに沢山の顔がついている。これを3〜4人の男性がかつぐ。神様がかつがれる時、かつがれている間は笛と太鼓が必ず鳴り響いている。祭りがトランスに入っていくとかつがれた神様が神輿を酔いどれのようにふらふら、よたよた、または激しく揺れ動かすことがある。その様子は以前にどこかの村で行われた大きなフェしティバルで見たことがある。媒体となる奇術師もいたように覚えている。

昨夜、祭りで振る舞われる食事を一緒にいただきに行こうと言っていた友人夫婦の奥さんが行けなくなり、その理由が私に伝えられた。彼女の生理が始まったと言う。一瞬、人前にでるのがおっくうなんだろうと思ったのだが、そうではなく、ここら一帯(何処らへんまでがそうなのか分からないがとにかくこの辺りの山岳地帯)では、女性の生理が始まった初日は家の中に入れてもらえないこと、自分の家どころか他の人の家にも入れないという驚きの伝統的仕来りがあるのだそうだ。ましてや、神様の前に現れるなどもってのほからしい。そういえば、神を祝うフェスティバルを牛耳ていたのは男たちであり、村の女たちは茅の外のように放牧している牛とともに少し離れた位置でこの様子を見守っていた。神様の近くにいた女と言えば、部外者の私と子供たちだけ。

話を戻して、生理初日の彼女には誰も触れない、女性同士であっても。誤って触れると触れた人も水シャワーを浴びないと家に入れない。友人の父などは初日以外でも生理期間中の3日間に彼女が作った食べ物すら触れないそうだ。とは言っても、そういった人達が凶暴で暴力的な男性と言う訳ではない。友人もその父もいたって穏やかな性格の人物である。これは、仕来りなのだ。私の友人(男)はそれを信じている、このしきたりの神様を信じているのだ。だから、私に彼女に触れてはいけないと注意する。

どうやって始まったかは分からないが、ただ、そういう仕来りなのだ。家の中に入れてもらえないが、家屋には正面玄関の外にある部屋がひとつ用意されている。生理初日の彼女達(女性家族)はそこで寝るようだ。翌日早くに水シャワーを浴び、身につけていた服やショールはすべて一緒に洗う。そして、やっと家の中を自由に入ることが出来る。私にとっては何とも言葉が出ない仕組みであるが、そういう仕来りで育った彼女達に疑問が浮かばないのか? とも思う。彼女達はいたって平気に受け止めているようだ。彼女達自身も神様を信じているのだ。一日、家の中に入れない奥さんは結構陽気に玄関先を通る近所の女性達と世間話をしながら笑っている。毎月のことであり、村人みんながこのことを理解しているのだ。私は見方を変えてみた。ある意味、その方が瞑想的ではないか。生理が始まると、他人に触れず、食事も与えられたものを家の外で独りで食べる。そうやって自分を見つめるのだ。

なんであれ、私はこう考えてみた。何故、女性の生理がそんなに恐れられるのか? 彼女に触れてはいけない。彼女がふれる物にも触れてはいけない。この地方では、その昔、子供が生まれるその仕組みが神秘そのものである。そして、いつしか、彼女の腹が膨らみ、人間の子供が生まれてくる。しかし、生理は生まれてこなかった人間が血の形となって出てくる。血は人間の形をとらずに出て来たもの。人間の形を要さない血を生み出したそれは邪悪であり、形にならなかった 何かかが出てくるのだ。人間ではなく、その血に魔物が乗り移ってもおかしくない。彼女に触れるのは魔物に触れるのと同じことなのだろう。魔物を家の中に招待するわけにはいかない。ここまで書きながら、おかしくて笑ってしまう私がいる、これを題材にした小説を書けるのではないかと。これはあくまでも私の想像なのだから。

どちらにしても、男は女性の生理を恐れていることに間違いはない。彼女に触れることに恐怖を覚え、触れてはいけないと教えられる。そうか、だから信仰なんてものが生まれたのだ。世界中のあらゆる宗教の土台を作り上げたのは男性であり、そして、女人禁制とやらの仕組みもあちらこちらで厳重に守られている。あっぱれよ、男達、あなた方はあなた方が邪悪だと思う産道から生まれ落ちたのだ。そのことを受け入れるための修行ならば、女人禁制は間違っている。女性の中に入って行くべきだ。女性に包まれ、女性とひとつになるべきだ。

2013.07.08 北インド、ヒマチャール州、マナリー峡谷、カクナール村から



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