9.26.2013

介護と私 (1)

この話は、誰も興味を示さない話だろう。面白くも可笑しくもない。ただ、私自身に起こっている "介護する" という現状について心のままに、嘘偽りなく、書きたいと思う。と言うことは読まれて私に対する偏見を持たれる可能性が生じる。しかし、書いてみようと思う。そして、いつものように twitter を通して facebook に流すのだ。

ちょっと勇気がいるかもしれない。しかし、書くことで自分の気持ちを改めて確認し、見つめたい。そうでもしないと心のバランスが崩れそうだ。時には変なことを考える私を客観的に眺める助けになるだろう。そして、私は "マザーテレサ" ではない。

 "介護" とは、まったく自分の心を写すものであると理解した。父が緊急入院して依頼、家族は彼に付きっきりである。今は退院してもうすでに3週間ほど過ぎただろうか、自宅での介護である。病院は完全介護なのに入院中は個室が空くと交代で宿泊し、家族の誰かが常に彼に付き添っていた。うちの家族はやり過ぎと言うことを知らないようだ。

手術後はもう駄目かと思った。心臓の動脈弁閉鎖症で心膜内に2Lほどの水がたまっていた。水は抜くことが出来たが問題の閉鎖症の手術(一時的に心臓を停止させる)はあまりに大掛かりで、高齢であり、また、肝臓がんの父にはとても施すことが出来ない。術後、2週間ほどは食事も飲み物も口にせず骸骨のようにやせ細っていく父を見て私の心は深く神妙であった。

その後、無理な退院を強く希望した父であったが、自宅で栄養のある食事と住み慣れた我が家での安心感から現在は少し体の肉がついてきた。彼のメインの仕事は食べて排出し、歯を磨いて寝るだけ。シャワーは母の担当である。退院直後は本人も踏んばって少しは杖と人に支えられて家の中を歩けた、何とか回復して自立できるのではないかと希望も持っていたようだが、現在に至ってはその希望も砕けていくように出来ないことが増えていく。一昨日は熱が38.7度もあり、かかりつけのお医者さんが往診に来て肺炎ではないかと思われたが、そこには至っていなかった。

父の頭の中はもう、やけくそに近いんだろうと思う。不甲斐ない気持ちに苛まされているだろう。頭が通常通りしっかりしているので悶々とした日々を過ごしている。体を思いのままに動かすことが出来ない、以前のようにしたい事が自由に出来ない、人に頼らなければならないこと自体に怒りが込み上げてくるようだ。実際の言葉からその気持ちが発せられる。

そして、そんな彼を支える家族。これまで、介護などは他人事であったが、今はどっぷりとこの難関に立ち向かっている。父も父ならば、介護する側にも精神的な波がやってくるのだ。介護経験がある友人が一人の病人に4人がかりで介護していたと言っていた。そう、その通り、うちの家もそうだ。父を支えているのはこの家に住んでいる母、姉、私の3人である。

姉は父が退院した数日後、床に座っていた父を立たせようと引き上げ、ぎっくり腰になってしまった。その現場に私もいたのだから「ゴキッ」と言う生々しい大きな音とともに倒れた姉を目の当たりにした。あいたたた〜、姉までが倒れてしまった・・・その瞬間、不安になった。その後、姉はしばらく動くことが出来なかった。

父が倒れてから現在に至るまで、私ははまってはいけない父の感情的空間にどんどん引きずり込まれていく。これをどう説明しようか? 介護される側の人格、こう言えば分かる人には分かるかもしれない。うちの父はエニアグラム8である。以前に家族全員でエニアグラムテストをやったことがあり、父は8、母は2、姉は5、私は7である。面白いことに、7の私は姉の5に向き、5の姉は父の8に向き、8の父は母の2に向かう、エニアグラムを知っている人にしか分からないかもしれないが、この4名は嫌でもつながりは深くなる。7の私が尊敬する5の姉は8の父に自分を認めさせるためならどんなことでも知性的にやりこなしてしまう。そんな父は愛情豊かな2の母に自分の全てをさらけ出す。

父はボッシーな8番なのだ。まるで自分が頂点であるかのように振るまう。暴言などは、自分を誇示するための手段であることすら理解せずに吐き捨てることが出来る。とにかく、怒りに任せて言葉を吐く。何に怒りを感じているのかも知らずに。彼自身が他人に弱く見下され、なめられてはいけないと言う意思の現れなのだ。特に、母に対しては腹ただしいほどの命令口調である。「ありがとう」「すまんが・・・これをしてほしい」などと言った会話は彼にとってウィークな言葉なのだ。そんな父を支える母と娘達、心理的な不満が起こらないはずがない。

どこまでが彼を思ってか、どこからが -いやいや介護- なのか、その線すら引くのが難しい。ある瞬間にどちらにも変換される事実を体験した。良い方から悪い方へ、悪い方から良い方へ。人間の気持ちは瞬間異動が可能という体験だ。私は職業柄、必然的に彼のリハビリ役である。もちろん、それ以外の介護も行なう。一日に2〜3回、関節をゆるめたり、マッサージしたり、そしてそれには私の本職クラニオバイオが常に施される。父はクラニオバイオに入ると毎回、眠りに落ちる。私には分かるがあの落ちる瞬間の気持ちよさと言ったらないだろう。彼はその虜になったように私にリハビリをしてもらいたがる。

しかし、私自身も介護の疲れが取れないのだから凄く嫌な時がある。それに、父は自分がそのような状態なのだから誰かが自分にマッサージを施すのが当然なように振る舞い、母にもしょっちゅう足を摩れと命令するのだ。私はそんな父を見ていてすごく腹がたつ。それだけではない、思いつきのまま、あれやこれやと指図しては人を困らせるのだ。ああ、こんなことをだらだらと書き始めると腹にたまった怒りが私に襲いかかってくるので、冷静に客観的に背を正そう。介護は、する方、される方の心が許しあわないと互いを苦しめる。この父に対して、母と姉と私の3人はよくやっていると思う。

私は海外が長く、ある時期に来たら両親が年老い、私の助けが必要になる時が来るかもしれないと思っていた。私を自由にしてくれていた感謝のお礼にいつかその時は役に立とうと思っていた。今が、そうなのだ。しかし、私は心穏やかな人思いの優しいマザーテレサのような人間ではない。どちらかと言うと、自由を愛し、奔放に冒険するエニアグラム7番そのものの人物である。例え、両親に対する感謝の気持ちをもって今の介護に専念しても、冒険に出れないことへの不安と不満を抱いている。これは、いつまで続くのだろかと。

「介護と私」についてのブログは続きそうだ。なので、これを (1)で締めくくっておく。

現状に対する鬱憤が爆発するブログになるのかと思ったかが、書いてみると今回はこのような感じになった。文章を書くと頭が整理され、必然的に客観化されるのだろう。しかし、私も否定的な言葉を吐きたくなる瞬間があるとだけは記録しておこう。その瞬間、who am i と唱える私もいる。インドで培った瞑想がもの凄く私を助けてくれているのは間違いない。冒頭にも書いたように "介護" は私の心を写すのだ。感情に流されそうになる時、私はその瞬間にすることを決め、ただそれをすることにする。感情に耳を貸さないように努力する。すると、その瞬間に中和されるのだ。







3 件のコメント:

  1. 病院は完全看護であっても、特に個室の場合、家族がいれば誰かが泊まるのは当たり前というのが通例のようです。
    病院側も家族がいるのを望む場合もあります、何か起こるかも知れないので、判断が必要な時もあるからだと思うし、以前、病院側からもそう言われた。
    病人がいるというのは、家族にとっては常に大変なことだけれど、私もいつかはこうして親兄弟の世話になるかもしれない、実際に世話になったこともあるし、世話したこともある。
    順番だからというには簡単すぎるけど、順番やねんなぁと思う。
    とりわけ、家族間では、いろいろなことがあらわになるので、いつも、自分の中に何があるのか確認しないといけない。
    愛があるときもあるし、憎しみのあるときもあるからな。
    けど、愛憎は裏表やと、OSHOも言う。そのとおりやと思う。
    縁あって家族として生まれたからには、見るものがたくさんあるんやろうね。
    けど、自分自身もテイクケアしてね。お母さん、お姉さんも。
    もう、私たちも残りの時間の方が短くなってると思うので、いろいろなこと、覚悟がいるね。
    また、会いましょう。

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    1. Atimoda ありがとう。現状についてブログを書くつもりはなかったの、プライベートなことだし、たぶん、私自身の愚痴を避けるのが難しいと思ったから。きれいごとなど他人向けだろうし、とは言っても愛がないわけじゃない。それを表現するのは難しい。でもね、自分に起こっていることを見ているのはそう悪くない。その順番っての、たしかにそうだね (^^) 私の時は誰が見てくれるのか、家族じゃないかもしれないし、まったくひとりでいってしまう可能性もあり得る。わははは。

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