11.28.2011

生後一ヶ月からクラニオコースにご出勤のあかりちゃん


CHA(クラニオバイオ)で学ぶひとつのクラスが
ファンデーションコースの最終モジュール10をむかえた。

このクラスは何かと特別だった・・・
もちろん他のクラスもユニークな人たちが集まっているが、

このクラスではコースの途中に妊娠/出産され、クラスの仲間の
同意とサポートを受けて最後まで無事、コースを修了された人がいる。

妊娠中、出産後、クラニオバイオのセッションを受けながらだから、
まったくもって理想的。

そして、生まれたあかりちゃんは生後一ヶ月の時から
お母さんと一緒に毎回コースに参加。

一才と一ヶ月になったあかりちゃんと一緒のコースがこれが最後? 
会えなくなるのが少し寂しいかもです(><)



きゃ〜くすぐったいよー
でもまだしゃべれない


ママの背中で一緒に
ロングタイドに浮かんでるからぐっすりでちゅ

休憩中はみんなが寄ってくるよ

私が眠るとみんなが安心して
交換セッションできるんだって・・・

交換セッションの時間に寝ないと、ぐずらないように
こまちゃんが必死になってあやしてくれるよ


やさしいお姉さんがいつもそばにいてくれるから
私は大人の中でもひとりぼっちではないよ

最後のコース、1才と1ヶ月になったよ
みんなが交換セッションしているとき、
こまちゃんが遊んでくれるのよ〜ん







この椅子、押すと動くの
だから押しながら部屋の周りをお散歩よ

このクラスの人たちはよく踊るの
私も楽しくなってくるよ


11.22.2011

ギリシャから戻る・・

昨日、ギリシャから戻った、やはり時差ぼけには勝てない。今日の昼過ぎまで目が重たく、起きれなかった。2週間のサトリで得たこと、まずは、体の調子復活。毎日ダイナミックとその他のアクティブ瞑想が体の浄化と矯正をしてくれた。少しばかりヒップアップしたのではないかと密かに喜ぶ (^^)

2週間ぶっとうし、公案と向き合うこと、なんと贅沢で苦しいことだ。何度も何度も、ああ・・こりゃだめだっ! と投げ出したい気持ちと、どこにもたどり着けないいらだちと共に否定的な思考に引き込まれていく。

No Mind 、私の期待は焦りと化し、最後の方でマインドの攻撃すらかわせない日が続いた。そして・・・それすら、もうどうでもいいやとその状態に身を委ねる。この時点で、私の公案は who is in? から<コンシャスネス/意識>に変わっている。

これはいったいどういう現象なんだ!? っと夢でも見ている気持ちにすらなってきた。生そのものが夢であった! と核心に迫る。だが、コンシャスネスは決して眠らず、また夢も見ない。では、人生という夢を見ているのは誰? 公案は謎解きではないと分かっていても、ああ、謎に魅入られていく。




















Tell me what consciousness is.

このように問い掛けられると、コンシャスネスト/意識は・・・っと続く。朝、眠りから目覚める瞬間、思考が始まる前に私は自分が起きたことに気づいている。

それは誰?

そして、思考が働いていなくても、私の日常が連続してうまく機能している。

それは何故?

ただの脳の働きとは思えなくなってきた。私は一度、パニック症候群の恐怖に耐えた経験がある。3年ほどで回復を見たのはたぶん、他の患者に比べて脅威的に早いのだろうと自覚していた。それも、病院にも行かず、薬も服用せずに耐えたのだ。しかし、この時の恐怖はきちがいになって病院送りになってしまうのではないかと変わっていた。

その時、何故、私は助かったのだろう? 私はすでに瞑想を知っており、セラピーも学んでいた。これこそが私を救った要素であり、病気のときでさえ、私のコンシャスネス/意識が、もしくは自我が健全だったのだ。パニック症候群の様々な症状があったときでも、私自身が<意識>としっかりつながっていたからだと思い起こした。精神を病むとは、自我と意識の連結が途切れたことだと知るに至る。

肉体のレベルから言って<意識>は生命固有であり、生命を一定の状態に保っているのだと知る。そして、それこそが私の核であり、全部なのだと思う。体はコンシャスネスを運ぶ物体であるのだろう。インテレクチュアルな概念は良いとしても、公案は哲学ではない。

意識が目覚めていくと、知覚感も変わっていく。思考の囚われから解放され始め、穏やかになり、すべてがオッケーなのだと細胞のひとつひとつが新鮮さを味わい始める。今回、私の期待を満たさなかったのも<意識>の仕業であろうと確信している。つまり、私の愚かな期待以上に<意識>は私に働きかけているのだと理解した。

最後の日、私はマスターにこうべを垂れた。私のやることはすでに終わり、あなたの思うままに私を使ってくださいと。














10.31.2011

ギリシャで2週間の who is in

明日からギリシャ、これは4年前から行くことに決まっている
2週間の「Who is in?」GangaとAvikalが主催。

2年に一度しかないリトリート、そして、2年前、
私は父の入院のために断念せざる終えなかった。


4年に前に振り込んでいる前払い金、
そして、手元には飛行機のe-チケットもある。


しかし、あれから2年経ったまさにこの時期、
正直言ってそんなに都合のよい場合でもないのだ。

東日本大震災もあり、ボランティア活動にいそしんでいる。
そして自分自身の仕事・・・

ここ数日、考えていることがある。
向こうに行って私は、自分の何にアクセスするんだろう?

そして、昨日から感じていること、
私は死ぬんではないか?っということ。

去年、親しい友人が亡くなった。
彼はいい時期に亡くなったのかもしれない。

今、この地球は悲鳴を上げ始めた。
私は、ギリシャで足止めを食う覚悟で行かなければならない。

ギリシャからさほど遠くないトルコでも大地震が起こった。
ギリシャは今、国自体が大破産で荒れに荒れている。

ひょっとしたら、この時点で2週間のwho is inを受けるのは
私へのご褒美なのかもしれない。

どうなるか、天に任せるしかない。
私は何をするにしてトータルにやるだけだ。





10.12.2011

父の誕生日

ここ数年、仕事の関係で、恒例となっていた父の誕生日のふぐ鍋パーティに出席できなかった。今年はラッキーかな、私は大阪にいた。この店は子供の頃から何かと祝い事があると行く近所の河豚料理のお店。奈良県でとれた日本の松茸も鍋の具に出てきた。ひょえ〜!久々に美味しい松茸に出合った。本当に美味しかった。




私は前日にオーダーした、 シーズンではないがいいイチゴを選んでもらって沢山飾ってもらったケーキのお山に狸を乗せてもらった。父はこの家族のお山の大将なのだから。マッチョな父だが、ケーキのように美味しい父であってくださいね。




9.23.2011

無意識を観照する

自分の心の動向をじっと観察している、それはそんなに簡単じゃない。一瞬にして外の世界を判断し、どう動くのか決めてしまうか、迷っている。それは無意識に蓄積されたあらゆる体験から計算されるサバイバルなのだ。右を取るか、左を取るか。しかし、行動する前、そして、その判断をする前にとどまっている。とくに、その判断の下にあるもの、もっとプリミティブな世界、それは思考よりも感覚的である。安心していられるか、ざわざわするか。どちらにしても、どちらの感覚にしても、それを見守っている。やがて、それは通り過ぎる。何度も何度も、思考がやってくる度にこれが繰り返される。すると、ある時点で静寂の香りが鼻をくすぐり始めるのに気がつく。ああ、今、此処にいる。しかし、まだ今、此処だ。多少の過去と未来を引きずっている。思考は言葉を発しないが、奥の方ではなにやら会話を続けているようだ。それもまた、観照し続ける。パートナーの目が私をアンカーリングする。2日目の夜に、それは一瞬にして起こった! 参加者全員が一緒に静寂の中に気づきと共に落ちていった。数分、それは続き、そして言葉を発した者から、少しづつ、また、元に戻り始める。その様子も観察している。このような体験は日頃の生活の中でも続けられる。私は続けようと思う。言葉を発する前に、あの静寂を呼び覚まし、一呼吸して、待つ。


この世の草原に私は牛を尋ね果てもなく高い草をかき分ける 
名もない川に従い、遙かな山々の入りくんだ路に迷う 
力尽き、元気も涸れ、求める牛は見つからない 
聞こえるのはただ夜の森に鳴く蝉の声ばかり 

川縁の木々の下に私は足跡を発見する 
かぐわしい草のもとにさえ彼の足跡がある 
人里離れた山奥にも、その足跡は見つかる 
これらの足跡はもう、点を見上げる誰かの鼻の穴より明らかだ



私自身が教えている クラニオセイクラル・バイオダイナミクス の 施術者養成コース(10モジュール)も期間的に長く1年半〜2年に渡りますが、 私がオーガナイズする ダイアモンド・ロゴス・ティーチングス も 次回の Group2『7...